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『ペトラは静かに対峙する』
スペインの中堅監督による愛憎ドラマ
家族の秘密と悲劇の連鎖描く
章を入れ替えて起伏ある構成に

 スペインの中堅監督ハイメ・ロサレス(49歳)による新作『ぺトラは静かに対峙する』(2018年、107分/脚本も担当)がお目見えする。家族の愛憎ドラマで、家長の圧力とそれに抗う一女性の意志が見る者に伝わる。いわゆる女権確立や家族の絆(きずな)の尊重という、普遍的テーマを突き抜ける視点がある。見終わればハッピーな気持ちに必ずなれるとは考えにくいが、作り手の言わんとするところはよく理解できる。

 ロサレス監督自身、映画のひらめきは、米国映画とヨーロッパ映画を源泉としている。彼の言によれば、米国映画はエンターテインメントの究極の形に到着している(まさに正鵠〈せいこく〉を射ている)。ヨーロッパ映画は、米国映画とは全く逆のことが起きている。度を超えた過激さや難解さへじわじわと向っている。
その代表例が一連のゴダール作品で、観客を完全に置き去りにする。その置き去りにされている一部の観客が、金を払って熱狂的にゴダールを支えるという、まれな現象をもたらしている。
このロサレス監督の発言のように、彼は1つ違うアプローチの仕方で観客との結びつきを作り上げることを考え付いた。一般的に製作された作品は、時系列に物語を進行させるが、彼はそれを場面ではなく章ごとに入れ替える実験をしている。
いうなれば、ある殺人事件が起こり、まず事件の詳細を見せ、その過程を後へ持ってくる手法である。観客は少しばかり戸惑うが、フラッシュバックの連続ほど頭を混乱させることはない。
ゴダール作品を見る人たちは、その混乱を面白いと解釈する人々だ。これは、近作『イメージの本』(2018年)を見ればよく分かる。
『ペトラは静かに対峙する』は、よくある筋書きを、章の入れ替えにより起伏をもたらせている。

アトリエのペトラ 
(C)2018 FRESDEVAL FILMS, WANDA VISION, OBERON CINEMATOGRAFICA, LES PRODUCTIONS BALTHAZAR, SNOWGLOBE ※以下同様

父親のジャウメ

ペトラ(右)とルカス(左)

ペトラ(左)とルカス

アトリエで父親の肖像画を塗り潰すペトラ

マリサ(手前)とジャウメ(奥)

ペトラ

テレサの息子パウ

マリサ 

ペトラ(左)

ルカス 

ペトラ(右)と母親(左) 

登場人物

 出演者は、なかなか魅力的な布陣である。わが国で、ペドロ・アルモドバール監督作品に出演するスペイン俳優はよく知られており、その代表格がペネロペ・クルーズ(出演作『ボルベール』〈06年〉、『それでも恋するバルセロナ』〈08年〉)だ。ほかには、大物俳優でもあまり知られていない。
冒頭シーンは、登場人物紹介という定石どおり、主演の若き女性画家であるペトラ(バルバラ・レニ/イラン監督アスガー・ファルハディのカンヌ国際映画祭コンペ部門出品作『誰もがそれを知っている』〈18年〉に出演)が、カタルーニャ地方(北はピレネー山脈、東は地中海に接し、州都はバルセロナ)にある著名な彫刻家ジャウメの邸宅を、作品制作のために訪れることから始まる。
そこは、森を丸ごと所有する広大な草原の中に、本館、アトリエが存在する。本館では、まず家政婦のテレサに案内され、そして当主の妻、マリサ(アルモドバール組の著名な女優マリサ・パレデス)、ジャウメの息子で写真家のルカス(アレックス・ブレデミュール/『未来を乗り換えた男』〈18年〉)、使用人一家のテレサの息子パウが寄食し、人々はそれぞれバラバラに暮らし、1つの家庭という集団は存在しない。
ジャウメが思いどおりに暮らし、家族たちは彼の存在を脇に置き、妻、息子、使用人の立場で生きている。そこへ創作活動のため来訪したペトラだが、本当の目的は、ジャウメはひょっとしたら自分を捨てた父親ではないかと探りを入れるためであった。  
  


テレサの自殺

 使用人のテレサの夫が、パウの職の依頼をジャウメの息子ルカスに頼み込む。ここから事件が始まる。職の依頼、ルカスからジャウメへと伝えられ、彼は「テレサが直接頼みに来れば」と応じる。テレサの性愛との引き換えであり、それを恥じてテレサは海に投身自殺する。
すべては皆の内部に刻印されるが、誰も声を上げない。もちろんペトラもその様子を見ている。ここでペトラは、父親の冷酷さを身にしみて感じる。



母親の死

 
父親を訪ねるペトラの行動の因となる「第1章」が3番目に登場する。
死の病床での母親の告白を期待するが、彼女は何も言わないまま亡くなる。なぜ真実を話さないのか、疑問が見る側には残る。
「ペトラの訪問」(第2章)−「テレザの自殺」(第3章)−「ペトラの母親の死」(第1章)の各章が意図的に入れ替えられる構成となり、前半部でここが導入部となっている。
ここでは、ジャウメの人品骨柄が描かれる。世界的な彫刻家、大金持ち、他人に情をかけない自己中心の生き方、つまり、握った権力を絶対に放さず、すべては自分が正しいとの信念の持ち主である。「彼は悪い人間ではあるが、意外と良い面も持ち合わせている」という、あいまいな妥協を作り手は一切拒否している。



後半の始まり

 ジャウメはペトラの絵画に難癖をつけ認めず、息子ルカスは寄食者扱い、親の金で勝手に旅をしての写真を全く評価しない。自分の芸術だけが一番と考えている。
ある時ペトラは、ジャウメが父親であるのではないかと質問を直接ぶつけるが、答えはノーである。この後半部でジャウメに否定され、その証明が残りの章で語られる。ジャウメの崩壊、ペトラとルカスの結婚、そして、シングルマザーとしてのペトラと幼い娘との蘇生―。



ジャウメの嘘

 次いで、ジャウメの崩壊が現実化し、物語は終結へと向かう。そこには、彼の過去が重要な役割を果している。彼は14歳で孤児となるが、この一件で彼の性格が形成される。家では兄に追い出され、ホームレスとなり辛酸をなめる。
しかし、一念発起して芸術の道に入る。名声を獲得し、巨万の富を得、独善的な権力者としての自己を作り上げる。彼が一番嫌うものは被害者意識で、苦労した挙句の成功者独特の論理である。
このために、ペトラの誕生、"ギブ・アンド・テイク"と理由をつけてのテレサとの有無を言わせない性愛関係と彼女の自殺の悲劇が起こる。しかし最大のものは、実の父親の存在に押しつぶされ自殺した息子ルカス、そして罪滅ぼしの意識からか、テレサの遺児パオへ愛情を注ぐものの、そのパオに撃ち殺される。
小さな家庭という場における、権力者の抹消。すべてが大きな事件のメタファーであり、因果応報なのである。



自分のルーツを求めて

 事の始まりは、ペトラの自身のルーツ探しから始まる。そして家族の物語ともなっている。権力者の横暴と死、若い世代の死と殺人、見方によれば戦争にも例えられる。その戦争を一家庭の物語に押し込み、章替えで弾みをつける作り方は、1つの手法である。
人間の持つ暗い一面が強調される作品だ。





(文中敬称略)

《了》

6月29日より新宿武蔵野館、アップリンク吉祥寺 ほか全国順次公開

映像新聞2019年7月1日掲載号より転載

 

中川洋吉・映画評論家