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『山中静夫氏の尊厳死』
一級品である中村梅雀の演技
闘病に対する人間の生き方を描く

 人間の生と死を取り上げる『山中静夫氏の尊厳死』は、注目すべき1作である。医師で芥川賞受賞作家の南木佳士(なぎけいし)による同名小説(1993年刊行)を原作に、村橋明郎が脚本・監督を手懸けた。肺ガン病棟担当医、今井俊行(津田寛治が、痩身でインテリの雰囲気を持つ医師を好演)と、肺ガン患者、山中静夫(中村梅雀)の闘病に対する人間の生き方を描く、極めて良質な作品である。

 
主演でガン患者を演じる中村梅雀の芝居のうまさは、一級品であろう。この自然な立居振る舞いの演劇的流れは、かつて所属していた、演技巧者ぞろいの劇団前進座(1931年に歌舞伎の下級役者が立ち上げたグループ)で習得した。
前進座は、今や4世代目となる。戦前から共産党支持を明言し、戦後はレッド・パージや、演劇資本の横ヤリで辛酸をなめた劇団である。その創立者で第1世代の1人、中村翫右衛門(なかむらかんえもん)の孫が梅雀である。うまいのも、むべなるかなだ。

山中静夫(左)、今井医師    (C)2019映画『山中静夫氏の尊厳死』製作委員会 ※以下同様

山中静夫

妻つね子と医師の話を聞く

山中静夫(左)、祥子(右)

近隣の老婆と

今井医師(右)とつね子

浅間山をのぞむ病室

過労で倒れる寸前の今井医師

今井医師(左)と山中静夫

最初の一撃

 病院の1室、医師を前に1人の中年男、山中静夫が後ろ向きに座り、「私はガンです」と告げる。このひと言は衝撃的で、物語の行き先を決める強さがある。この演出の知恵の絞り方は巧みだ。
今井医師による最初の診察時、山中は静岡の病院に入院中であった。肺ガンが骨と肝臓へ転移し、余命は3カ月と静岡の病院で診断されていた。彼はもともと、浅間山が見え、千曲川が流れる郷里、佐久市(長野県)で死ぬことが望みである。そのために、何の不満もない静岡の病院を後にした。
突然の転院の要請で、今井医師も驚き、もう一度家族と話し合ってと、その日の診察を終えた。その数日後、夜中の電話で起こされた彼は、例の山中が是非入院したいと戻ってきたことを知ることとなる。そして今井医師は、最後を迎えるのに相応しい、浅間山が一望できる個室を手配した。 
  


医師としての方針

 余命わずかなガン患者と寄り添う医師
治療に関し、今井医師には確たる信念があった。彼は、死んでいく人間が最期の思いを遂げて満足する明るさ、力強さを持たねばいけないと考えている。今井医師にとって山中は、決して死にたがっているのではなく、生きたがっているということを確信している。
そして台本は、人はどう死にたいか、あるいは、どう生きたがっているかが、背中合わせになっているように書かれている。そのため、肺ガン患者の絶望も、死ぬ前にやり遂げたいことも同時進行の形を取り、患者本人に混乱を来たす精神状況を設定している。これは、山中本人も、妻つね子(高畑淳子)も同様である。



佐久戻り

 
今井医師の見立てでは、余命1カ月から3カ月である。山中は以前から考えていたことがあった。彼は動ける間に1つのことを成し遂げたいと思っている。
山中は佐久市の生まれである。若い時、静岡に婿(むこ)入りするが、これが大変な貧乏婿であった。妻が小さな雑貨店を営み、彼は郵便配達夫として60歳の定年まで勤め上げた。
これからが第2の人生と思った矢先、運悪く肺ガンに侵され入院となり、ほかの臓器への転移も見付かる。そこで彼は「どうせ死ぬなら故郷の佐久で」と心に決め、今井医師を訪ねたのであった。
もう1つ、婿の彼は、常に気を使って生きることから解放されたい望みもあり、佐久戻りを選ぶ。静岡の貧しい家庭への婿入りの山中は、生来おとなしい性格で、妻にも愚痴1つこぼさず耐えてきた一生であった。そして、ガン発病と転移で、彼の佐久戻りの決心がつき、今井医師に泣きつき、浅間山の見える故郷に落ち着いたのだ。



山中の日課

 まだ体力のある山中は、毎日入院先の病院からいずこかへ出向く。そこは町から離れた、もう誰も住んでいない廃屋になった実家である。田舎によくある、家の隣が先祖の墓という作りになっている。
そこで彼が始めたのは、母と兄が眠る墓の横に、自身の墓を建てることであった。河原から砂利や石を集め、手押し車で実家まで押し上げ、セメントで固める作業である。
時に、近くの老婆がお茶を差し入れるが、魔法瓶から注がれたお茶をすする梅雀の何気ない芝居、ごく自然な仕草となり、この地味な所作1つが実にサマになっている。
役者の自然な演技とは、考えに考え抜いた訓練の結果であり、決して黙ってできるものではない。有名な話では、亡くなった大女優、杉村春子の芝居もしかり、彼女自身が自分で作り上げたもので、彼らの芝居には相通じるものを感じる。



同級生との出会い

 廃屋近くの作業を終え、帰りがけ、1人の女性が車から下り親しげにあいさつをする。しかし、山中は彼女が誰か思い出せない。しばらくして、中学時代の同級生、祥子と分かり、2人は偶然の再会を喜び合う。
帰りの車中で2人は積もる話をする。山中はあと数カ月の命、祥子は46歳で夫を亡くしたことを知る。別れ際、祥子は山中とはもう会わないと宣言する。人の死に出会いたくない気持ちからである。これは生きている人間の本音でもある。



完成間近の墓

 1カ月の作業により、もう一歩で墓が完成する段となるが、山中の体調が急に衰えを見せ始める。最初は痛みの原因である腹水を抜き、小康状態を得るが、段々と痛みが激しくなり、食事も取らなくなる。
その状況を見て、今井医師は「自分の意志で食べないのか、あるいは食べないで、そのまま死ぬか」と優しく山中に問う。最終的には自殺と覚しき行為はやめ、放射線治療に移る。
今井医師の考える方法は、もはや痛みを抑えるモルヒネの増量で済む問題ではなく、楽になることと死とは全く別のものと考え、自らの意志で生き抜くことの大切さを説くものである。ターミナルケア(終末期治療)での安楽死は、自ら生きる意志を封じ込めようとする言外の意味もあり、今井医師は、生きる努力を放棄する安楽死には否定的である。
やり残した墓の字入れは、妻つね子の手でなされた。





ありがとう

 もはや朦朧(もうろう)状態の山中は、妻に向け、ゆっくりと間を置き、「あ・り・が・と・う」とつぶやく、この芝居も見ものである。
一方、今井医師は、数多くの末期患者の治療や夜勤のため鬱(うつ)病となり、1カ月の休養となる。彼も身を削って治療をしていたのだ。尊厳死と安楽死。今井医師の場合は、生き抜く意志に賭けたといえる。人間は本来、生きたいのであり、それに寄り添うのが医療という信念だ。
この生と死の問題、1つのガン患者の例としてとらえ、生と死についての問題提起をしている。一度は考えてみなければならぬことである。






(文中敬称略)

《了》

2020年2月14日(金)より、シネスイッチ銀座ほか、全国順次ロードショー

映像新聞2020年2月3日掲載号より転載

中川洋吉・映画評論家