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『モルエラニの霧の中』
室蘭を舞台に緩やかにつながる全7話
独特の映像詩スタイルによる構成

 一見、洋画と見まがうタイトルの『モルエラニの霧の中』(2020年/坪川拓史監督・脚本・音楽、214分、全7話形式)は、れっきとした邦画で、坪川監督の生まれ故郷、室蘭を舞台とし、5年の歳月を費やした大作である。全7話が緩やかにつながり、独特の詩情を醸し出す。長さもけた外れだが、内容的には坪川監督の尽きぬイメージの豊かさに圧倒される。長尺作品ながら、全編見る者を飽きさせず魅了する。

1本桜の下の蕗子    (C)室蘭映画製作応援団2020 ※以下同様

写真館主人、小林幹夫

霧霧に飲まれる室蘭

水族館

武藤映子(左)と小林幹夫(右)

病妻(右)と野崎芳郎

水野圭一と合唱団

捨てるピアノの目印の椅子

科学館の久保七海

SLと吉井武治

樹木医川村作治

坪川拓史監督について

 今年48歳の坪川監督の略歴やフィルモグラフィーを辿ると、異色の作家のレッテルを躊躇(ちゅうちょ)なく貼(は)れる存在だ。生まれは、港町、室蘭市長万部町。22歳で上京、大田区洗足池公園でホームレス生活を体験する。この辺りから何かユニークな人との印象を与える。
まずは、劇団「オンシアタ―自由劇場」(俳優座養成所出身者らが1966年に立ち上げた「劇団 自由劇場」が71年に解散後、同メンバーだった演出家・串田和美や女優・吉田日出子らが75年に旗揚げした。吉田日出子が劇団のミューズ)の研究生となる。
当時の演劇青年たちは、演劇だけでは飯が食えず、皿洗い、女性ならウェイトレスで食いつなぐのが普通で、坪川監督も吉田日出子が飼う犬の散歩係などのバイトで細々と口に糊(のり)をしていた。
その彼、2011年の3・11を機に室蘭に戻り、市民参加型映画作りを実践する。その最新作が『モルエラニの霧の中』である。現在までに7本製作しているが、恥ずかしながら、筆者は1本も見ていない。「モルエラニ」とは、アイヌ語で「小さな坂道を下りたところ」の意。 
  


映像詩

 人と人との交歓と美しい自然
本作は、映像詩のスタイルを持つ独立した7話から構成され、それぞれが緩やかにつながる。物語を視覚ではなく、感じさせる狙いが透けて見える。また、パートカラーとモノクロとの使い分けも特異であり、ここに作り手の意図が込められているのであろう。



語られる映像

 
〔第1話〕冬の章/水族館のはなし「青いロウソクと人魚」
冒頭、水族館内、1人の少年がくらげの水槽前で、じっとこの軟体生物を目で追う。室蘭港では1人の女性が手紙入りのビンを海に流す。先ほどの少年が水槽のくらげを盗み出し、殺して海に捨てる。彼は、飼育員から「クラゲは死んだら綺麗な水になる」と教えられ、それがきっかけらしい。
港でビンを流す女性は、少年の母(大塚寧々)である。この母子はもうすぐ引っ越しをするという。この「引っ越し」は記憶の移動と考えられる。
また、タイトルの中の人魚は、小川未明の詩(「赤い蝋燭と人魚」)の1編の挿入である。「人魚は南ばかりではなく、北の冷たい海にも住んでいる」、そしてナレーションで「水は青うございました」と語られる。人魚自身は岩の上、淋しい風景である。
第1話から、脈絡のない記憶の塊が散りばめられている。



写真館と蕗子(ふきこ)

 〔第2話〕春の章/写真館のはなし「名残りの花」(部分的にカラー、全体はモノクロ)
モップで廊下を拭く初老の男、老舗写真館の主人、小林幹夫(大杉漣)。建物は洋館であることが分かる。古い室蘭の一面だ。独身の幹夫は朝食の支度をし、1人で食べる。
1人の青年が登場する。幹夫の離婚した元妻との間の1人息子、真太(河合龍之介)だ。彼は久しく室蘭に帰郷しておらず、昔の記憶をたどり、古い柱時計のネジを巻くが、もはや使用不能である。この洋館の1つの備品が時の経過を現わす。
次の場面が実に本作らしい。時間を意図的に無視した映像が現れる。この洋館には、1人の女性が住んでいる。彼女は、ここの一隅を借りる。自作のさまざまな色のアート的なロウソク工房の主人である。
彼女の名は、前章の武藤映子(大塚寧々)と同じだ。この女性の差し替え、いともあっさりとやってのける。この辺りが坪川監督のファンタジーな発想で、この映像は思いのまま時空を遊泳する。
ここで、見る者はストーリーを追い理解することを放棄し、映像を感じねばならない。この映像感覚が坪川監督の独自な感性なのだ。
この話は、内容が盛り沢山である。生前の幹夫の時代に、未受け取りだった写真の持ち主探しを映子は真太に依頼し、彼を困惑させる。成り行きで引き受けた真太は、町の人々の間に入り持ち主を探す。そこで、室蘭市民とのコミュニケーションが生まれる。
もう1つ、作品のハイライト的な場面が設定される。蕗子(香川京子)の登場である。着物姿の彼女は上品な老婦人であり、彼女について分かることは、幹夫の生前の顧客らしい。
蕗子、映子、真太の3人は、丘の1本桜の下(もと)へ出かけ、今は亡き幹夫に代わり映子が満開の桜をバックに蕗子の写真を撮る。映子がシャッターを押す。映子は生前の幹夫にカメラを教わっていたとのこと。
1本桜の場面はカラーである。桜の見事さと大女優、香川京子の着物姿の美しさを際立たせている。



豪華客船入港と歓迎行事

 〔第3話〕夏の章/港のはなし「しずかな空」
港に豪華客船が入港する。室蘭港の海の色、白い客船の美しさに目を見張る。その歓迎行事に、児童合唱団のコーラスと和太鼓の演奏が決まる。
そして突如、老夫婦、野崎芳郎(小松政夫)と妻美津子(桃枝俊子)が登場し、芳郎は病気の美津子にひと匙(さじ)ずつ、食事を食べさせる。しかし、彼女は全く食べる意志を示さない。
美津子は合唱団の元指揮者で、歓迎のコーラスに自作の曲の演奏を依頼する。



ピアノを捨てる

 〔第4話〕晩夏の章/「Via Dolorosa」
1人の女性から粗大ゴミ回収業者に、ピアノ廃棄の依頼が舞い込む。多分、合唱団の元指揮者の病妻のものであろう。それを海辺の丘の上の目印のところまで運ぶ作業で、重いピアノを丘まで2人の男が汗を流しながら運ぶ。坪川監督の想像力が冴(さ)える。
この話は短く、前半と後半の転換役を担っている。





科学館とサクランボの木

 〔第5話〕秋の音/科学館のはなし「名前のない小さな木」
中学生の桃子は、7年前に父を亡くし、その父と来た思い出の科学館(解体予定)を訪れる。彼女は、老人介護施設務めの母、久保七海(橋本麻依)と2人暮らし。科学館の中庭に父から教わった「サクランボの木」を探すが、今はもうない。ここでも過去の記憶があふれ出す。





移転予定の蒸気機関車

 〔第6話〕晩秋の章/蒸気機関車のはなし「煙の追憶」
この話は、昔のSL機関士、吉井武治(坂本長利)の移転予定のSLへの郷愁を描く、記憶の世界と現実のせめぎ合いである。





樹木医と冬虫夏草

 〔第7話〕初冬の章/樹木医のはなし「冬の虫と夏の草」
老人施設の介護士、久保七海は、季節の変わり目には施設を抜け出す、河村作治(佐藤嘉一)に興味を持つ。彼は樹木医であり、脱出先は自宅で「冬虫夏草」のサンプル収集家でもある。
七海は再婚を機に退職し、娘と引っ越しの予定。引っ越しとは記憶を断ち切ることであり、作中、しばしば使われる手法。彼女たちの出発の日、河村老人は汽車まで「冬虫夏草」のビンを餞別代りに届けに来る。乗る列車の駅名が「母恋(ぼこい)」とは、しゃれている。
変わり行く室蘭への尽きぬ思い、それは人と人との交歓と美しい自然であり、また記憶の繰り返しでもある。本作は詩情あふれる映像詩である。




(文中敬称略)

《了》

2020年3月21日から岩波ホールほか全国順次ロードショー
映像新聞2020年3月9日掲載号より転載

公開日延期のお知らせ

3月21日(土)より岩波ホールほか全国順次公開を予定しておりました映画『モルエラニの霧の中』の公開日が来年2021年に延期となりましたこと、取り急ぎご連絡申し上げます。

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3月21日(土)から岩波ホールでの上映を予定しておりましたが、このたび新型コロナウイルスの感染予防対策により、関係各所協議のうえ延期することが決定いたしました。

また、岩波ホールが今年の9月より劇場内の機器の更新・修繕(工事期間:9月26日〜2021年1月末日)を実施するため、本作は再OPENの第1作目として、新たに来年(2021年)2月6日より公開スタートとなります。

なお、すでに販売済の前売り鑑賞券はそのまま使用可能ですが、ご希望がある場合は劇場窓口にて払い戻し致します。

誠に恐縮ではございますが、ご理解、ご了承のほど、宜しくお願い申し上げます。


中川洋吉・映画評論家