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『在りし日の歌』
変貌し続ける中国社会を背景に描く
時代に翻弄される夫婦の30年
人それぞれの人生に思いを馳せる

 中国の文化大革命(1966−76年)の終息後、1980年代から2010年代の変ぼうし続ける社会を背景とした作品が『在りし日の歌』(2019年/ワン・シャオシュアイ、カラー、185分/原題「地久天長」、英題「SO LONG, MY SON」)である。本作は、その激動の時代に生きた夫婦の30年を写し取り、時代に翻弄(ほんろう)される市井の人々の姿、家族間の愛情、仲間を思う友情を描き、人それぞれの人生に思いを馳(は)せる重厚な大作である。

 
フラッシュバックを多用する本作の登場人物は若干複雑である。主人公は、北方内陸部の工業都市にある国有企業勤めの2組の労働者だ。2組の夫婦は、同じ宿舎(狭く、共用の台所で煮炊きをする)に住み、親しく付き合っている。 1組は、夫のリウ・ヤオジュン(ワン・ジンチュン、出演作品『オルドスの警察日記』〈2013年〉など)、妻のワン・リーユン(ヨン・メイ、出演作品『黒衣の刺客』〈15年〉など)。もう1組は夫のシェン・インミン(シュー・チョン、出演作品『遭遇海明成』〈15年〉など)、妻のリー・ハイイエン(アイ・リーヤー、出演作品『告別』〈15年〉など)。 この2組の夫婦は、いわば宿舎のお隣さん同士で、偶然に同じ日に生まれた息子がいる。シンとハオである。お互いに、それぞれの子の義理の父母としての契りを交わし、息子たちも兄弟のように育つ。 時は1986年、この80年代(正確には79年から)に共産党は人口抑制を目的とする「一人っ子政策」を施行する。人道上大きな問題となったこの政策は、2015年に廃止される。

ヤオジュンの家族揃っての食事    (C)Dongchun Films Production ※以下同様

ヤオジュン夫妻

幸せなヤオジュン一家

養子とヤオジュン夫妻

親しい仲間の集まり

ヤオジュン(右)と養子(左)

両家の記念写真

ハオ(インミンの息子)

ヤオジュン夫妻の墓参り

リストラ通知の工場集会

1994年

 物語の底流となる場面がフラッシュバックで冒頭に置かれる。川辺では2人の少年、シンとハオが座っている。2人は、ほかの少年たちの水遊びを眺めている。ハオは遊びたがり、シンは座ったまま動かない。ハオはシンに川遊びを促すが、泳げないシンは下を向いたままだ。
場面が変わり、川辺では大人たちが大騒ぎしている。シンが溺れ、水死したのだ。シンは主人公ヤオジュン・ユーリン夫妻の1人息子で、ハオは義兄弟の契りを結んだインシン・ハイイエンの息子である。
そして、そこにヤオジュン夫妻と生前のシンを含めての食事風景が、インサートされる。あたかも平和な暮らしの象徴のように。 
  


第2子の妊娠

 物語は、シンの水死前に戻る。そこで第2の悲劇が起こる。その当時の中国は、人口抑制のため一人っ子政策をとり、第2子は認められない社会状況であった。しかし、何としても、もう1人子供が欲しいヤオジュンは、「何とかならないか」と友人たちに打診して回る。そして、リーユンの妊娠が、親しく付き合っていたインミンの妻ハイイエンの耳に入る。
工場で、幹部クラスに昇進した彼女は、自分の権威を誇示するためと、共産党への忠誠心(あるいは忖度〈そんたく〉)で、リーユンの子を強引に堕胎させ、2家族の絆(きずな)は危なくなる。
後日、ヤオジュン夫妻は、計画性生育の優秀賞を受ける。これは、友人夫妻を苦しめたことに対する、ハイイエンの計らいと贖罪(しょくざい)の意味が込められている。



「蛍の光」

 
そのころ、もぐりのパーティーがヤオジュンの部屋で催され、当時流行のダンスに友人たちと興じ、皆それぞれ、つかの間の息抜きをする。そして『蛍の光』の歌がCDから流れ、皆しんみりする。
この原曲は、スコットランド民謡『オールド・ラング・サイン』で、永久の友情が歌われている。「友情は天知の如く長久(とわ)に変わらず/古き友よ/良き時代をいかに忘れられようか―」、このスコットランド民謡の中国語訳は、ほぼオリジナルに近く、「友情のために別れの盃を飲み干そう」との送別の酒宴の歌である。
そしてこの歌は、ヤオジュンをはじめとする文化大革命の下放青年の心にしみ入り、思い入れが深い。まさに本作のテーマである友情を歌い、その歌詞が胸を打つ。



第2の人生

 シンの水死以降、工場のリストラも加わり(時代は2000年代初頭であり、市場経済導入による民営化で、それまでの国営企業が倒産して大量のリストラが出る)、シンの水難事故以来、両家族は疎遠となる。ヤオジュン夫妻は福建省の沖合にある漁村へと引っ越し、個人営業の修理工場を開く。
亡きシンに代り、同夫妻は孤児院から養子をもらい、シンと同じ名前を付ける。しかし、第2のシンは、身代わりの息子になることに反発し、ヤオジュン夫妻の元を去る。去るに当たって、養子のシンは自身の身分証をヤオジュンから受け取る。家を出る際、少年は叩頭(こうとう=日本でいえば土下座)し、育ての親への感謝の念を現わす。見る側は、中国人の情の厚さの一端を見る思いだ。



昔なじみの女性の出現

 シンを失い、失意の夫妻の元に、インミンの妹モーリー(チー・シー)が出現する。かつての国営工場でヤオジュンの部下でもあった彼女は、昔から知るヤオジャンに思いを寄せ、出張を機会に彼を宿泊先に呼び出し再会し、関係を結ぶ。
夫の不倫を察したリーユンは、彼に向かい「あなたまで失ったら、私は独りで生きていくの?離婚したかったら応じる」と屈折した思いを口にする。そしてある日、彼女は自殺を図るが、夫のヤオジュンに抱かかえられ病院に駆けつけ、一命を取り止める。
ヤオジュンの息子の死を知っているモーリーは、彼との1度の関係で妊娠し、ヤオジュンに「息子を失ったあなたのために、子供を産んであげる」と難題を持ち掛ける。
彼女は「子供は欲しいはず」と彼に迫るが、ヤオジュンは散々迷った末に断る。「俺とリーエンはお互いのために生きている。もし、子供を引き取ったら、リーエンや子供、そしてモーリー、お前に申し訳がたたない」と苦渋の決断をする。
男性の「やせても枯れても、愛妻リーユンのために」とヤセ我慢、あるいは、おとこ気を見せる。この手の男女間の問題、東西古今どの世も問わず起き、どちらが悪いといえないところがある。



旧友再会

 2011年、港町に隠れるように引っ込んだヤオジュン夫妻の元に、この20年間会っていない旧友、インミン夫妻から連絡が入る。インミンの妻ハイイエンが、胸の病で手術不能な重篤であり、「死ぬ前にもう一度会いたい。ヤオジュンたちを思わぬ日はなかった」と伝えられる。彼女を診断したのは、成長し医者になったハオであった。
それを受け、ヤオジュンは昔の工場のある内陸部の工業都市へ向かう。昔の都市はすっかり再開発され、両夫妻が住んでいた古ぼけた宿舎1棟だけが姿をとどめていた。現存する1棟には、無人で、まだ住める状態の昔の住居が残り、彼らの旅行中の宿泊先となる。そして、遠い昔に出て行ったままの部屋に、夫妻は幼いシンとの家族写真を最初に飾る。
  2組の夫妻の再会、ハイイエンはリーエンに「ごめんね」と一言。積年の良心の呵責(かしゃく)からやっと解放される。ハイイエンの葬儀の後、ハオの車で昔の住居のある宿舎に戻った夫妻は、ハオを招き入れる。
  そこで、ハオはシンの水死の事件について告白する。泳げないシンを無理矢理川辺に連れ、恐がる彼を突き飛ばしたことを。それを聞いたヤオジュンは「2度とその話をするな。自分を責めるな。生きている間は胸にしまっておけ」と諭す。何と優しい、義理の息子に対する言葉であろう。
先述の『蛍の光』の場面での友情、ヤオジュンのハオと両親に対する愛情、中国の庶民の持つ情がじっくり語られる。長い人生には、いろいろなことがあるが、その一端を掬(すく)い上げたのが本作である。現在53歳であるワン・シャオシュアイ監督の能力の高さに感服させられる1作だ。






(文中敬称略)

《了》

4月3日より角川シネマ有楽町、Bunkamuraル・シネマほか全国順次ロードショー

映像新聞2020年3月16日掲載号より転載


中川洋吉・映画評論家