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『暗数殺人』
韓国で起きた凶悪事件から発想した力作
法律知識を駆使し主導権握る犯人

 韓国から、従来の発想を逆転する刑事もの『暗数殺人』(2018年/キム・テギュン監督、共同脚本、110分、カラー)が登場する。本作は実際に起きた連続殺人事件に発想を得、話が面白く、役者もうまく、内容も詰まっている。そして、韓国映画独特の力(りき)のある作品だ。本作を見ていると、韓国映画は既に日本映画を越えている感を抱かずにはいられない。

キム・ヒョンミン刑事(左)、カン・テオ殺人犯
(C)2018 SHOWBOX, FILM295 AND BLOSSOM PICTURES ALL RIGHTS RESERVED. ※以下同様

ヒョンミン刑事

面会室

カン・テオ

捜査班

捜査班

港町

 舞台は釜山港、種々の人々でにぎわう大都市であり、何が起きても不思議でない雰囲気がある。劇中、町行く人々は、連続殺人事件を口にする。実際に起きた凶悪事件を話の底流に据えている。全体的に港町独特の猥雑(わいざつ)な雰囲気が濃厚だ。
冒頭、市場の食堂でキム・ヒョンミン刑事(キム・ユンソク=もともとは演劇畑で知られ、映画では『チェイサー』〈2008年〉、『1987 ある闘いの真実』〈17年〉などの代表作がある大俳優、今年52歳。『パラサイト 半地下の家族』〈19年〉のソン・ガンホのような韓国人独特の顔が大きい容姿の持ち主)が、仕事の合間に若い同僚刑事と食事中。そこへ1人の男が投げ込まれる様に飛んで来て、後を追う警察に逮捕される。初っぱなから暴力臭満載場面で、一体何が起きたか、全くわからないひとコマである。
恋人殺しの若い男、カン・テオ(チュ・ジフン=代表作『アシュラ』〈16年〉、『工作 黒金星と呼ばれた男』〈18年〉)が、実にえげつないチンピラとして登場する。 
  


テオの頭の良さ

 刑事と知能犯との心理的格闘
本作は、7人連続殺人事件担当刑事と犯人の2人による心理的格闘を描き、双方の知恵の絞り合いが見どころだ。犯人テオは若いながら狡猾(こうかつ)な知能犯であり、刑務所房内で法律知識を独学。それを実際の取り調べで駆使し、犯人と刑事の位置が逆転させる。
一般的に言えば、縦の関係が色濃い同国では、目上、権力が上に立つのが普通である。しかし、本作では、権力に対し、頭で対抗する犯人の図式が物語全体の緊張感を高めている。



初めての取り調べ

 
兄に付き合い、ゴルフを楽しむヒョンミンの携帯電話に警察から連絡が入る。殺人容疑のテオが犯行について話したいとの申し入れがあり、拘置所に駆け付ける。テオは殺しの被害者の人数を教えると持ち掛ける。ヒョンミンとこの青年とは初対面で、7人連続殺人はすべて警察の捏造(ねつぞう)と主張する。
なぜ、自ら犯人と名乗るのか分からない。これは、相手の先手を打つ作戦である。そして、殺人の状況を紙に書いて説明する。物事の順が逆なのだ。この供述を得て、ヒョンミンは大勢の警官を従え、遺体を埋めたとされる森のハイキングコースに捜査する。出て来たのは埋められたスカートの一片のみで、空振りに近い状態である。
次いで、テオは別の殺人について語り出す。彼が沿岸漁業船に乗っていた時に、50代の男性を殺したと供述。これも物証がない。
ここで、彼は7人も殺したのに刑事たるヒョンミンの態度に敬意が足りぬと怒鳴りちらす。その上、供述の礼として、金銭とメガネを要求。厚かましい限りである。
この最初の事件の設定、脚本の発想が良い。黙って被疑者の要求をのむヒョンミンの冷静さと、テオの激情ぶりの対比の演出はこなれている。話に弾みがあり、展開に期待を抱かせる。



捜査の打ち切り

 恋人殺しの大捜索で、さしたる成果が挙げられず、上司はヒョンミンに捜査打ち切りを申し渡す。どうしても再捜査継続を望む彼は粘るが、それを却下。しかし、上司はヒョンミンの行動には目をつぶる。結局、彼は異動(むしろ左遷)で交番勤務となるものの、これは建前上のこと。刑事から交番勤務は格下げを意味するが、組織の体面上やむを得ない処分である。
上司はヒョンミンに、同じようなケースを話して聞かせる。ヒョンミンの前任者の刑事は、捜査中止の命令を無視、うまく結果が出ず退職したという。この話を聞き、彼は何か参考になればと、元刑事を訪ねる。
その元刑事は、手に負えないテオの犯行について興味ある解説をする。「テオは刑事を通して、自らの無罪を証明するのが狙いではないか」と、鋭く分析して見せる。そこでテオが房内で、必死で法律書に目を通していた理由が納得できる。



テオの無罪

 自信をつけたテオは、沿岸漁船での殺人、市内での若い男性の刺殺事件についてもほのめかす。いざ、ヒョンミンが突っ込むと、殺しには加担せず遺体遺棄にだけ手を染めたと豪語する。物証のない事件だけに、ヒョンミンはそれ以上踏み込めない。
テオは刑事の足元を見透かし、さらに金銭を要求。ヒョンミンも最後の希望を託し、現場検証と引き換えにテオの関心を買うことに心を砕く。しかし、若い男の刺殺事件は物証が乏しく、無罪、ヒョンミンは一敗地にまみれる。



次の一手

 テオに関する聞き込みが続けられ、彼の素性が少しずつ暴かれ始める。チンピラヤクザ時代の親分は、テオの言うことの9割はウソと断言する。また、テオの生まれ育った環境について調べる。そこでヒョンミン刑事は、暴力を振るう父親を殺した過去を知る。私生活では、パク・ミヨンと呼ぶ女性との同棲、そして解消。彼女はテオから遠ざけるため、幼い子を連れて釜山に移動する。パク・ミヨンは、その後テオに殺され、遺体は川に流される。
何かの手がかりを求めて、白骨遺体を再度見直すヒョンミン。今ではほかの避妊具が発達し、「リング」の存在自体知らぬ人が多いが、そこには避妊リングが写し出される。
そのリングから婦人科のカルテを調べ、テオとパク・ミヨンの男女の存在が浮び、状況証拠以外に裁判に有利な物的証拠が集められ、テオに無期懲役の判決が下る。
実在のヒョンミン(仮名)は、本作公開の2018年後も刑事を続けている。服役中だったテオは刑務所内で自殺した。





定型崩し

 本作の面白さの最大の要因は、縦の関係の定型崩しにある。普通ならば、刑事が威張り、被疑者が縮まっている図式だが、この人物関係が逆転している。実話を基に書かれた脚本は、このねじれを強調している。
お上(かみ)と呼ばれる権力は、例えば刑務所内では、犯罪者の自由を奪い、徹底した管理体制を敷く。本来ならば自由のはく奪が最大の懲罰で、それ以上は人権問題に触れてくるはずである。その現状を突く逆転の発想である。
テオは最初に7人連続殺人を供述し、捜査陣をグッと引き付ける。それ以降はテオのペースとなる。供述を小出しにし、その都度、差し入れをせしめる。メガネ、数珠などだ。若い男の刺殺事件の取り調べでは、差し入れのインスタント・コーヒーをすすりながら偉そうに構える。金銭も要求し、一時金のほかに毎月の小遣いの要求、おまけに念書まで書かせる。
凶暴で平気で人を殺し、嘘をつく極めて高度な知能犯。この種の生まれながらの悪人は存在する。テオの理不尽な要求を、刑事ヒョンミンは我慢に我慢を重ね、受け入れ、地道な聞き込みで補強捜査を続行する。
結果として、一度は司法からの無罪判決で屈辱をなめるが、再調査で有罪を勝ち取る。ヒョンミンに扮(ふん)するキム・ユンソクの大人の分別と冷静さ、さらに彼の人間臭いたたずまいが、見る者を引き付ける。彼のうまさに唸(うな)ることは必定である。密度の濃い刑事ものだ。






(文中敬称略)

《了》

4月3日よりシネマート新宿ほか全国ロードショー

映像新聞2020年3月30日掲載号より転載

中川洋吉・映画評論家