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『コリーニ事件』
ドイツ史上最大の司法スキャンダル
世界的ベストセラーの映画化

 戦後75年を経た現在も、ドイツではナチス犯罪者が野に放たれ、法律でも容認する事態が続いている。それが『コリーニ事件』(2019年/マルコ・クロイツパントナ監督、ドイツ、123分、英語題「THE COLLINI CASE」)で暴露された。ドイツ史上最大の司法スキャンダルに挑む、ベストセラーの映画化である。

 
原作は、数々の刑事裁判と向き合う現役の弁護士フェルディナント・フォン・シーラッハの手による。彼は短編『犯罪』(2009年)で45万部のベストセラーを記録。初の長編『コリーニ事件』では、ドイツ文学最高賞であるクライスト賞(10年度)を受賞した。
11年9月に刊行された同小説は、ドイツ国内だけで50万部以上を販売。ほかに英国、スペイン、日本(東京創元社/13年4月刊行)を含む多くの国でベストセラーとなった。
作中で語られる驚がくすべき「法律の抜け穴」がきっかけに、発行から数カ月後の12年1月にドイツ連邦法務省が省内に調査委員会を設置したが、「国家を揺るがす事件」の処罰はうやむやのままだ。

法廷のカスパー弁護士とコリーニ被告(後方)    
(C)2019 Constantin Film Produktion GmbH ※以下同様

コリーニ

マイヤーと(左)コリーニ

カスパー(裁判所)

面会、コリーニ(左)とカスパー(右)

資料の最終精査

ヨハナ(右)とカスパー(左)

演出中のクロイツパイントナー監督(中央)

ボクシング練習のカスパー

検察側控訴人マッティンガー(左)とヨハナ(右)

事件の経緯

 2001年、ベルリンの高級ホテル最上階にあるスイートルームへの廊下に、がっちりした肩幅の男性の後ろ姿が写し出される。事件の始まりだ。男性はドアをノックすると、部屋に招き入れられる。迎えるのは温和な表情の老紳士で、「飲み物はいかが」と機嫌よく客をもてなす。
老紳士は、マイヤー機械工業のオーナー、ハンス・マイヤー。相手の男性はファブリツィオ・コリーニ(フランコ・ネロ/1960年代後半、一世を風靡した荒唐無稽なマカロニ・ウェスタン・シリーズの重要な一員である。今年79歳、代表作は『続・荒野の用心棒』〈66年〉)だ。
コリーニは、ドイツで30年以上模範的市民として暮らした67歳のイタリア移民。彼はホテルの部屋でマイヤーを殺害し、犯行後、悪びれることなく、血の付いたクツを引きずりロビーに現われ、そこで捕まる。財界の大物マイヤーとコリーニは面識がなく、2人の関係は不明。コリーニは黙秘権を行使し、完全沈黙。分からぬことばかりの事件だ。
そして、3カ月前に弁護士になったばかりのカスパー・ライネン(エリアス・ムバレク)が国選弁護士となる。新米弁護士としては肩の荷が重い初仕事である。彼の父親ベルンハイト・ライネンは、カスパーが2歳の時、トルコ人の母と彼をおいて出奔(しゅっぽん)。今は地方都市で本屋を営む。 
  


マイヤーとカスパーの関係

 温厚なマイヤーは、自分の孫と年の近いカスパー少年をかわいがり、豪邸を庭代わりに走り回ったり、プールで水浴びをしたりと、家族の一員並みに迎えられる。長男一家は交通事故死し、マイヤー家の孫娘ヨハナ(アレクサンドラ・マリア・ララ)と姉弟のように育てられ、2人は終生の良き友、良き恋人の間柄を保つ。
カスパーは、法廷でベテランの検事らに甘く見られ、言外にトルコ系の移民2世との偏見もあったと思われる。被告コリーニは沈黙を守り、一言も発しない。老人とは思えない堂々たる体格で、伸ばした髪は後ろで束ね、おまけに髭面、新米弁護士には大きな壁となる。カスパーにとって、恩人マイヤーを殺したコリーニを弁護することは皮肉なめぐり合わせだ。
マイヤー一家は、鉄壁の法廷対策を練り上げる。検事以外に、遺族の立場を尊重するための公訴参加代理人に、カスパーの大学時代の刑法の教授で弁護士のリヒャルト・マッティンガー(ハイナー・ラウターバッハ)と、マイナーの孫娘ヨハナが検事側として、カスパーと対峙する。
若いカスパーにとり、しがらみに絡められそうな状況である。事件は「コリーニ事件」と呼ばれる。



司法解剖

 
マイヤーの司法解剖の結果が報告される。彼はコリーニからピストルで頭を3発撃たれ、その後、顔も蹴られていた。強い怨恨を思わせる。一方、コリーニは相変わらず口を開かない。
ここで、殺害に使われた1丁のピストルの存在が明らかになる。現在では入手困難な「ワルサーP38」である。この時、カスパーの頭には、もしやナチスのものではないかと疑念が起きる。少年時代、マイヤーの孫(交通事故死した)と祖父の書斎で遊んでいた時に偶然目にした、あのピストルだ。いつもは温厚でニコニコ顔のマイヤーが、その時の様子が異様だった記憶が蘇る。



ダウン寸前のカスパー

 自供も証拠もないこの裁判、カスパーにとっては、コーナーに押し込められパンチを浴びるようであった。インサート場面で、カスパーのボクシング練習の映像が何回か流れるが、彼の苦境を表わしている。



現地での聞き取り調査

 起死回生の一策として、移民・コリーニの生まれ故郷に実地調査を試みる。彼に残される最後の一手だ。
この後半部から物語展開のスピードが増し、躍動感が高まる。演出手法を自由自在に操るクロイツパイントナー監督のパワーと、緻密な論理的構成が冴(さ)える。





1944年事件

 ナチス犯罪者を放置する法の実態
裁判がこう着状態に陥り、被告側不利な状況の中、カスパーはコリーニの故郷、イタリア・トスカーナ州のモンテカティーニに足を踏み入れる。そこでコリーニ家の墓をまず訪れ、その後、生前の一家を知る人々の聞き込みをし、予想外の結果を得る。
モンテカティーニは、1944年にナチス・ドイツに占領されるが、地元のレジスタンスがナチスの兵士2人を殺害。その報復として、ナチス側は10対1の原則を持ち出し、レジスタンスをかくまった地元民20人を殺害する。ナチス側のトップの親衛隊少佐が若き日のマイヤーであった。彼は、少年の目の前で父親を処刑し、自分のピストルでとどめをさした。
そのピストルこそがマイヤー殺害に使われた「ワルサーP38」で、父親を処刑された少年がコリーニである。これら真相は、ナチスの通訳を務め高齢に達した、地元在のルケージが、1944年事件の生き証人として法廷で語る。
最終法廷での弁論側追及の第1弾は、1944年事件の解明とピストル所有で、マイヤーの過去が判明する。そして、第2弾が撃ち込まれる。ここで、検事側のマッティンガー教授の1968年の刑法改正への関与が浮かび、弁護側の完勝となる。
コリーニ事件の背景にある、ドイツ刑法の問題が法廷で論議される。殺人罪でも現行刑法には2種類あり、謀殺は、低劣な動機を持つ殺人欲求―性的欲求による犯罪で、終身刑が科せられる。故殺は、上司の命令による殺人で、5年以上の刑となる。
この法律は68年の法改正によるものである。ヒトラー、ヒムラーら、ナチスの首脳は当然ながら謀殺犯罪者となる。しかし、アウシュヴィッツなどの収容所での大量虐殺に対しては故殺となり、60年後半に時効が成立し、多くのナチス犯罪者は、逮捕を免れ、ドイツ社会に潜り込む。「犯罪の動機は個々の行為者ごとに判断する」とする趣旨の法改正によるものである。一見理にかなった改正ではあるが、思わぬ結果を招く。
この法改正にもナチスの残党がかんでいる。68年のこの法改正を連邦法務省の刑法局長エドゥアルド・ドレーアー(ナチス時代の検事)の手で密かに法令の中に数行の文章を潜り込ませた。ナチスの犯罪者を放置する、正義に反する法改正だが、調査委員会を設置した議会までが、この巧妙に隠された恩赦の一文を見逃したことになる。
この委員会の見逃し、あるいは不注意は、ドイツ司法のスキャンダルとさえ言われた。さらにその上、忘れてはならないのが、ドイツの恥部に目をつぶりたい国民の暗黙の了解の上に、この法律が存続していることである。
最終的にコリーニ事件は、判決言い渡しの前夜にコリーニが自殺し、裁判は停止となり、費用は国費負担で幕を閉じる。釈然としない判決ではあるが、改正刑法は未だに存続している。







(文中敬称略)

《了》

6月12日から新宿武蔵野館、YEBISU GARDEN CINEMA ほか全国順次公開

映像新聞2020年6月8日掲載号より転載

中川洋吉・映画評論家