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『悪の偶像』
重量感あふれるクライム・スリラー
韓国2大スター競演の愛憎劇

 韓国から重量感あふれるクライム・スリラーがやってくる。この分野では既に日本を追い抜いたと豪語する、韓国映画界の鼻息の荒さも理解できる。作品は『悪の偶像』(2019年/イ・スジン監督、脚本、韓国、144分)である。主役は、若手の人気政治家ミョンフェ(ハン・ソッキュ)、息子をひき逃げされた工具店主ジュンシク(ソル・ギョング)で、2人の人気スターが競演する。近年、韓国の男性演技人のレベルの高さが目立ち、本作で立証した形だ。

ミョンフェ    
(C)2019 CJ CGV Co., Ltd. VILL LEE FILM, POLLUX BARUNSON INC PRODUCTION All Rights Reserved.
※以下同様

気性の激しいジュンスク

リョナ、拘置所での面会

記者に囲まれるミュンフェ

言語士事務所のジュンシク(右)

怒るリョナ

弁護士とジュンシク

仕事中のミュンフェ

ミュンフェの息子ヨハン

話の良さ

 二転三転する猟奇的な物語展開
今年で43歳のイ・スジン監督の長編デビュー作『ハン・ゴンジュ 17歳の涙』(2013年)は、数々の国際映画祭で認められ、マーティン・スコセッシ監督が「次回作を見たい」と、才能を高く評価した。彼の監督としての力量は疑いようがない。
今作『悪の偶像』の評価の高さは、一言でいえば、「何よりもハナシが良い」ことに尽きる。被害者、加害者それぞれの父親の愛憎劇であり、人間の予期せぬ出会いと葛藤の激しさに息を?(の)む。特に、息子をひき逃げされた工具店主ジュンシクの悲しみと狂気の芝居は見もの。芝居の作り自体が練れている。若い俳優では、この鬼気迫る内面の激しさは出せない。小手先ではないのだ。
映画にとり、ハナシの面白さが第一で、イ・スジン監督はこの第一関門を踏み越えたことになる。"ホン"がいいとは、こういうことを言うのだ。 
  


構成

 クライムものとしては、探偵、警察が前面に出るのが定石であろう。しかし、本作では一市井人と若手のリベラル政治家の動きを最優先し、2人の大物俳優ハン・ソッキュとソル・ギョングを配した。この狙いは極まっている。
2人の対立と便宜的和解、そして突如として飛び出す奔放で行動力のある若い女性リョナ(チョン・ウヒ)の起用は、後半の筋展開の柱となる。彼女は日本では見当たらないタイプの女優で、韓国女優の特性である容ぼうに意志の強さがみられる。一例として『新聞記者』(2019年)のシム・ウンギョン、『金子文子と朴烈(パクヨル)』(17年)のチェ・ヒソ、『国家が破産する日』(18年)のキム・ヘスなどがいる。



冒頭のショック療法

 
画面には雨中のビル群が写し出される。重苦しい暗さが、作品自体のメイントーンである。次いで中年男性のナレーションが入る。内容もさることながら、なぜ入れるのか、この唐突さにまずは面食らう。
それは、本作の主人公ジュンシクの語りで、「私は息子の射精を手伝いました。彼は異常な性欲の持ち主で、こすって血まみれになるのを見ていられませんでした」。冒頭から、「一体何を言っているんだ」との気分にさせられる。
この異常な発言、亡き息子プナンへ対する彼の限りない愛情であることが、徐々に見る側へ伝わる。エゲツない表現は、韓国映画特有のものであり、柄は極めて悪いが、作品の持つ強さに通じるものがある。まず、一発度肝を抜くカマセとも受け取れる。思わず、この新鋭監督スジンのハッタリ交りのカマセに、「なかなか、やるじゃないか」と相成る。



もう1人の主役

 ジュンシクと並ぶ、もう1人の主役が登場する。人気抜群の若くて清廉潔白な政治家、ミョンフェが空港に姿を現わす。外国視察旅行からの帰国だ。ここでの展開がひどく生臭い。
中年男の一団が待機し、彼と喫茶コーナーでのご歓談となるが、1人の党の古株でボス格の男の発言がとげとげしい。「人気取りの視察旅行は大変だな」、「今の原子力委員長を辞めて、知事選だけに専念したら」などと話し掛ける。"原子力委員長"とは、原発反対派のミョンフェを引きずり下ろす、見え透いた嫌みで、政治利権の匂いが漂う。
利権政治とは一線を画したいミョンフェは、笑顔で適当にあしらう。公共事業、原発、五輪は利権を嗅ぎまわる政治家が暗躍する場で、日韓の政界事情に共通点を感じさせる。
ミョンフェは自宅へ電話するが、誰も出ない。不審に思いつつ、自宅の門をくぐり家の中に入ると、異様な雰囲気。息子のヨハンが父の車で飲酒運転をし、人をひいたと妻が動揺し泣きわめく。一方、ガレージの中には血まみれの遺体が置かれている。ヨハンが犯罪隠ぺいのため、遺体(後に数時間生きていたことが判明)を車で運んできたのだ。
単なるひき逃げであれば交通違反による事件だが、このままでは遺体遺棄の重罪になり、殺人も疑われてしまう。そこでミョンフェは一計を案じる。遺体を現場に戻し、息子を自首させ、自身は釈明記者会見をする段取りをつける。全部、自身の政治生命第一の奸計(かんけい)であり、清廉潔白の政治家の装う保身術である。



リョナ探し

 目撃者がいないはずのこのひき逃げ事件だが、現場から裸足で走り去る若い女性が近所の男性に目撃される。その彼が謝礼金目当てにミョンフェの事務所に現われる。人気政治家の息子の単なる事件で一件落着と思われたが、実際は大違い。がぜん慌てたのは、体面を何よりも重んじる政治家ミョンフェだ。
彼は闇社会と話をつける。その揚げ句、金をゆすられる。一度エサに食らいついた、うるさいヤクザをやむなく、ひき殺す。隠ぺい工作で、さらなる困難に直面せざるを得なくなる。
一方、息子をひき逃げ事件で失ったジュンシクは、自ら真相究明に乗り出す。最終的に双方の父親は、1人の若い韓国女性リョナにたどり着く。この若い女性の出現により、ハナシが締まる。物語の面白さとはこういうことなのであろう。
彼女は脱北者であり、中国から韓国に入り、パスポートを大枚はたいて買い、韓国社会に潜り込む。世間で伝えられているように、多くの女性脱北者は、人身売買、風俗産業に吸収され、性的搾取の対象となる。韓国映画には現在、脱北者ものと呼ぶジャンルが存在するが、まさに彼女の存在が該当する。



ジュンシクの尽力

 事件の真相を知りたい父親のジュンシクは、リョナをやっと探し出すが、彼女は脱北者のため入国管理法違反で警察に拘留され、毎日、強制送還におびえる日々。さらに彼女は妊娠中であった。
元来、人の良いジュンスクは彼女を息子の嫁として扱い、養子縁組をする。どうも、異母姉妹と2人で脱北中に悪徳仲介業者を殺したようで、姉から怪物と言われるリョナは、ジュンシクの親切に涙する。
ここで注目すべきは、現在、韓国で社会問題として横たわる脱北者問題を、ひき逃げ事件の意外な背景として扱っていることだ。この社会性は、作品自体に弾みを持たせ、リョナ出現後の物語を一段と強化している。監督・脚本家としてのイ・スジンの筋の良さが見て取れる。


さらなる一波乱

 ラストにもう一波乱がある。リョナは中国人仲介業者から脅され、やむなく彼を殺害する。ジュンシクの口からは、息子ブナンの異常な性欲を抑えるためにパイプカットをしたことが語られる。そのため、リョナの腹の子はジュンシクの孫ではなく、仲介業者の子と思われる。
このおどろおどろしく、猟奇的な物語展開、人間の本性がむき出しとなる面白さがある。その上、ラストのパイプカットの下りでは、イ・スジン監督に見事に一本取られる。彼にかつがれたのだ。
両極端な人間性のぶつかり合いがメイン、そして、サイドとして脱北問題を絡める本作、コリアン・ノワールの頂点に立つ1作だ。米国でリメイクされてもおかしくない。




(文中敬称略)

《了》

6月26日よりシネマート新宿・心斎橋ほか全国順次公開

映像新聞2020年6月15日掲載号より転載

中川洋吉・映画評論家