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『スペシャルズ』
実話を基に伝える「奉仕の精神」
閉鎖の危機に迫られる施設
若者の独立を支援する2人の活躍描く

 われわれが生きるこの世には、さまざまな問題が山積みしている。人は、それら1つずつに何とか解決策を見出そうとするが、嫌な問題で疲弊し、世の中に対して否定的になり、希望の無さを嘆くことは当然であろう。しかし、生きることは決して悪いことばかりでもなく、「捨てたものでもない」と思う時もある。実話を基にした『スペシャルズ』(2019年/監督・脚本:エリック・トレダノ、オリヴィエ・ナカシュ/フランス、119分)は、人間を今一度見直させる、そんな作品である。

 
背景はパリ(高級住宅街ではない)。メインの舞台は2つの施設で、1つは「正義の声」と呼ばれる自閉症のケアを専門とし、2つ目は「寄港」で、ドロップアウトした若者たちの独立を支援する団体である。
数多くの登場人物がスクリーンを彩るが、演者は皆スターではなく、プロではあるがその辺の普通のオバさん、オジさんのような地味な人たちである。
2つの施設には中年のリーダーがおり、自閉症のケア施設のリーダーはブリュノ。彼を演じるヴァンサン・カッセルはフランスの中堅俳優で、代表作として『ジャック・メスリーヌ フランスの社会の敵bPと呼ばれた男』(2部作、2008年)や、韓国映画で冷徹なIMF〈国際通貨基金〉の役人を演じた『国家が破産する日』(18年)などがある。役柄の広いカッセルだが、本作の社会的弱者を、体を張って守る芝居はサマになっている。
一方「寄港」のリーダーのマリク(レダ・カテブ)は、マグレブの移民出身の柄を押し出す、控え目な役回りを生かしての、青少年への接し方には優しさがにじみ出ている。

ブリュノ(左)とマリク(右)
(C)2019ADNP-TEN CINEMA-GAUMONT-TF1 FILMS PRODUCTION-BELGA PRODUCTIONS-QUAD+TEN
※以下同様

子供と遊ぶマリク

子供と遊ぶブリュノ

ブリュノ

マリク

ベル押し常習のジョゼフとブリュノ

少年少女たちのグループ

頭突きのヴァランタン

少女を諭すブリュノ

スケート場で

『最強』のコンビ

 本作と同様、トレダノとナカシュが共同監督・脚本を務めた『最強のふたり』(2011年/フランスでの歴代興収3位の大ヒットを記録)は、大いに笑わせたものである。その2人が手掛けた作品となれば、当然ながら観客は喜劇を期待するが、それが見事に外れる。
昨今、日本では笑えぬ喜劇や芸人が氾濫し、お笑いの世界の質が明らかに低下している。個人的嗜好(しこう)を述べれば、洋画は『最強のふたり』、邦画では『セトウツミ』(2016年、大森立嗣監督)の2作しか印象に残っていない。
本作に、『最強のふたり』の乗りを期待する向きには失望が目に見えている。 
  


最初の事件

 2人のリーダー、ブリュノとマリクの日常の忙しさ、次から次へ難題発生で、そのたびに1人は現場に駆け付けねばならない。この事件の連続を作劇に利用し、劇全体の流動性を高めている。
ブリュノが駅に飛んでいくと、1人の自閉症の青年ジョゼフが鉄道警官に取り囲まれ、縮こまっている。ジョゼフは黙ったまま、一方、取り巻く警官は苦り切った表情。彼は非常ベルを押し、電車を止めたのだ。しかも、このイタズラ、1度や2度ではないことは、警官の表情からうかがい知れる。
非常ベルを押すイタズラは電車の運行を妨害する。日本でも子供のイタズラ(置き石)で列車が脱線し、450万円の損害賠償を請求された例がある(1995年)。もちろん、ブリュノと警官は口論となるが、そこは少年の犯罪ということで、警察はしぶしぶ釈放。警官たちの、強くは出ず、ぶ然たる表情は、ブリュノたちへの同情もあったのだろう。



外出の付添い

 
ジョセフを自宅へ送り届けると、次は、重度の自閉症のヴァレンタン少年の外出付き添い。この少年は、すぐに他人に対し頭突きを食らわす癖があり、頭にボクシングのヘッドギアを常時付けている。
ジョセフもヴァレンタンも悪ガキには違いないが、彼らの素行にもそれなりの理由がある。これらの少年たちは一種の監禁状態にあり、1回外出すると、回りに対し過度の警戒心を持つことが多く、ベル押しや頭突きなどの行動に走るようだ。
施設側も彼らを守るために、1カ所に集め事件を防ぐ配慮をするが、ブリュノ1人では十分ではない。最良の介護は、障害を持つ少年少女を、1カ所に閉じ込めるほかに方法がない。しかしそれには、人権問題もからみ、多額の費用と医師などを含めた人手が必要で、新たな難問が発生する。
豊富な予算と人員がそろえば問題解決だが、福祉関連予算は世界的にみて十分に配分されず、必然的にブリュノやマリクの個人のボランティアに頼らざるを得ない現実がある。



財政難

 それぞれの施設は、所管の監査局の調査が入る。この査察、わが国でも国税庁からマルサと呼ばれる定期監査が入るのと同様である。
フランスでは、ブリュノやマリクのように、個人的に経営する自閉症救済団体が存在し、多くは無許可、赤字経営、閉鎖の危機にさらされている。2人の団体は個人的ボランティアから出発した運営体で、もし閉鎖されれば、自閉症の子供たちは行き場を失う可能性があり、無許可でも閉鎖することはできない行政側の事情もある。




行政の判断

 福祉問題のお目付け役である社会問題総合監査局(IGAS)は、施設を不適切な組織と判定すれば、施設の封鎖を決定できる。
ブリュノとマリクは、何とか自閉症施設を守るために、果敢に調査官に向かって論戦を挑む。彼らは「この施設にいる10人、20人、30人、そして全員50人を行政にお返ししましょう」と壁に貼られた子供たちの顔写真を1枚ずつはがし始める。そして、最後の極めは「路頭に迷う子供たちの面倒を誰がみるのか」と畳みかける。
この論理に調査官はタジタジ。あたかも、ブリュノ、マリクたちが「俺がやらねば、誰が自閉症の子供たちの面倒をみるのか」と迫るようにも見える。ここが、身銭を切り人助けに奔走する2人の心意気である。
行政の判断は、閉鎖などの処分の一時延期となる。行政も施設を潰すわけにはいかず、ブリュノ、マリクの熱血漢ぶりを一応認めたというところ。官庁流にいえば、結論の先送りだ。




奉仕の精神

 作品の底流として、「人のために役に立ちたい」とする奉仕の精神がある。やはり、この精神はキリスト教社会の善き面である。わが国では他人に対する奉仕の精神が薄いといえるだろう。
筆者は、本紙の映画評論で「日本人は外国人に比べ、人の困難に対し、見て見ぬふりをする傾向がある」と再三述べた。日本人の大多数は仏教信者であり、その精神の1つに「他人を大事にする慈しみの心は必ずある」との教えがある。しかし、もう少し他人のために、手を貸してもよいのではないかと思う時がある。




ピエール神父

 本作『スペシャルズ』の言わんとするところは、弱者同士の助け合いにある。
ここで、是非とも慈善家の名を紹介したい。フランスの一神父、アベ(神父の意)・ピエール(1942−2007年)の存在だ。
一介の神父が対独レジスタンスに参加し、戦後は地方議会議員を務め、議員手当てを最初の救援活動センターにつぎ込んだことでも知られる、国民的に尊敬される神父だ。そして、貧民救済のために不用品のリサイクルをする「エマウス」という独特の資金調達法を編み出した。
1954年2月1日、ラジオで「友よ、助けを!この早朝に1人の女性が凍死した」とホームレスの救援を要請し、彼の名と「エマウス」の存在を深く印象付けた。日本でも「エマウス」は存在するが、活動は活発ではない。
ピエール神父の例を取り上げたのは、フランスにおける奉仕、無償の行為で成り立つ現状を知らせるためである。日本人も親切ではあるが、まだ「他人への奉仕の精神の欠如」を『スペシャルズ』は衝(つ)いている。考えねばならぬ問題だ。







(文中敬称略)

《了》

9月11日よりTOHOシネマズシャンテ他にて全国順次公開ロードショー

映像新聞2020年9月14日掲載号より転載

 

中川洋吉・映画評論家