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『ある画家の数奇な運命』
現代美術界の巨匠をモデルにした長編
戦後のドイツで芸術の本質を追求
過酷な宿命を背負う若き画家

 骨太で、芸術の本質を追及する長編作品『ある画家の数奇な運命』(脚本・製作・監督:フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク/2019年、ドイツ、189分)が公開される。戦前から、戦後にかけて絵画の真のあり方を追い続けた、著名な画家ゲルハルト・リヒター(劇中ではクルト・バーナート役)の伝記や著書をドナースマルクが脚本化したものだ。

画業に励むクルト
(C)2018 PERGAMON FILM GMBH & CO. KG / WIEDEMANN & BERG FILM GMBH & CO. KG

少年時代のクルトと叔母エリザベト
(C)2018 PERGAMON FILM GMBH & CO. KG / WIEDEMANN & BERG FILM GMBH & CO. KG
ゼーバント教授
(C)2018 PERGAMON FILM GMBH & CO. KG / WIEDEMANN & BERG FILM GMBH & CO. KG
エリーとの最初の出会い
(C)2018_BUENA_VISTA_INTERNATIONAL_Film_Wiedemann_Berg_Film
クルトとエリー
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叔母エリザベト
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フェルデン教授
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アトリエのクルト
(C)2018_BUENA_VISTA_INTERNATIONAL_Film_Wiedemann_Berg_Film
ゼーガペインバント
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叔母エリザベトを見送るクルト少年(中央)
(C)2018_BUENA_VISTA_INTERNATIONAL_Film_Wiedemann_Berg_Film

叔母との1日

 本作の主役クルトは、ナチス政権下のドイツでの幼年時代に、若く美しい叔母エリザベト(ザスキア・ローゼンダール)の影響で、芸術に親しむことを身に着けた。
今日は彼女に連れられ美術館へ。しかし、係員の説明は画一的で旧弊な絵画ばかりを称賛し、退廃芸術の極みはピカソと断じ、叔母やクルト少年をあきれさせたり、驚かせたりする。
しかし少年は、叔母と一緒にいる楽しさで心満たされる。帰りのバスでは親切な運転手に声を掛けられ、それは忘れ得ぬ1日であった。このバスがラストの伏線となる。
叔母のエリザベトは、若くして精神を病み、強制的に病院に送られ、ナチスの精神障害者や身障者排除の優生思想政策により、そこで安楽死させられる。別れ際に彼女は、見送るクルト少年に「真実はすべて美しい」と最後の言葉を残す。この「真実」こそ、彼の作品のキーワードである。
この叔母を死に追いやったのは、やがて成人したクルト(トム・シリング)が結婚し、義父となる医師のゼーバント教授(セバスチャン・コッホ)である。婦人科の名医で親衛隊の名誉隊員でもあった彼は、当然戦犯となった。 
  


占領軍とゼーバント教授

 画家を目指すクルトは、東ドイツ・ドレスデンの美術学校に入り、希望に満ちた未来へ踏み出した折、父親が自殺する。沈痛な表情の父親が扉の間から顔を出す、このアップの場面は、ごく短く処理されている。このような手法もあるのかと、見る側は面食らうが、ドナースマルク監督の演出が光る。
自殺した父は、家族の安全のために趣旨を曲げてナチス党員となっていた。そのために戦後は公職を追われ、ビルの掃除夫として働き家族を支える。戦後、ナチス関係者は、上は幹部クラスから下は一般党員まで、公職追放の処置がとられた。しかし、うまく潜行した元ナチスの人々もいたことも事実である。
ゼーバント教授も、ドイツ敗戦後、ソ連軍に捕らわれるが、出産の陣痛で苦しむ取調官少佐の妻の分娩を介助する。この功により、彼は釈放され自由の身となり、医師として復職する。



エリーとの出会い

 
ある時、美術学校で鉛筆の配給(敗戦後の時代相を写し出している)があり、クルトももらいに行き、叔母エリザベトの面影を宿すエリーと知り合う。不器用な彼は、オズオズと彼女に散歩を申し出る。世慣れないクルトの純朴さを面白がったのか、エリーはクルトと散歩に出かける。
彼女の父親であるゼーバントは、ドレスデンの病院長に返り咲く。自殺したクルトの父の純粋な生き方と比べ、ゼーバント教授は逆である。クルトは教授の過去を知らず、娘のエリーは、父親は戦争中、軍医として働いていたと信じて疑わない。
クルトは偶然に、一部屋空きのあるゼーバント邸に下宿することとなる。話がうまく出来すぎの感はあるが、同じ屋根の下で暮らすクルトとエリーの仲が深まり、エリーは妊娠する。



父親の不興

 一緒に住むゼーバントは、クルトをよく思わない。30歳に近くになっても絵では稼げず、無職状態のクルトは、エリート街道を直進するゼーバントにとり不愉快な存在でしかない。結婚に反対し、娘の妊娠は彼の血族にとって異物でしかなく、中絶することを思いつく。そうすれば2人の仲も冷めるだろうと、強引に胎児を堕ろす。
この中絶に当たって、ゼーバントは「胎児は病気」と専門の医学用語を並べ立て説明、若い2人は有効な反論もできない。彼は手術道具一式を自宅に用意し、手早く中絶する。とんでもない蛮行(ばんこう)である。
この時、クルトは彼がナチスの軍医として、安楽死を指揮していたのではないかとの疑問を抱く。しかし、2人の愛はますます燃え、父親の思いどおりにはならない。そして6年後、正式に結婚する。




新天地へ

 クルトは、社会主義リアリズムに傾倒したわけではなく、少し斜に構えるが画業の方は順調で、歴史博物館の壁画を学校から任される。大変な名誉だが、彼はさして喜ぶ風でもなく、淡々と作業を進める。
戦後にゼーバントを取り調べ、妻の出産後、彼を釈放したソ連軍の少佐がモスクワに帰任したことで、彼の周辺に戦犯問題が再燃する。
クルトは、社会主義リアリズムへの疑問を深め、自分にとっての「真実」を求め、エリーと2人で新天地を求め、ベルリンの壁の崩壊前にドレスデンから西ドイツへ渡る。
東ドイツには悪名高いシュタージ(密告制度、住民が住民を監視するシステム)があり、体制に対し自由にものを言えず、志ある人々には嫌われた。しかし、クルトの仲間の学生たちの中に、東ドイツは不自由だが、食うには困らないからと、とどまることを希望する者もいた。現実的選択である。
従来、社会主義圏諸国では、政治的不自由さの代償として医療と教育の無料化、行き届いた年金制度の完備で、人々はそこそこに暮らせたのだ。




デュッセルドルフを足場に

 西ドイツへ移ったクルトは、ドイツにおける前衛芸術のメッカ、デュッセルドルフ芸術アカデミーに入学する。ここではモダンアートの旋風が巻き起こり、クルトも前衛的アイデアを駆使した絵画に挑戦する。
ある時、学生の作品は見ないと公言するフェルデン教授から「絵を見たい」との要請があり、クルトは今までの作品を見せた。教授は、絵に対する評は全くせず、大戦中、航空兵として参戦し、銃撃を受けた話を始めた。そして帰り際「君は誰だ。これは君じゃない」と一言残し去った。ここで、自分の存在が「真実」に遠いことを悟らざるを得ず、すべての作品を焼却処分する。




奇跡を生むヒント

 ある時、元ナチス高官で、安楽死の指揮を執った幹部の1人の逮捕を新聞で知り、俄然、クルトの創作意欲に火が付き、彼の手法がこの時点で変化する。精密に模写した写真のイメージを微妙にぼかす「フォトペインティング」である。出来上がった絵画は、中央に叔母エリザベトとクルト少年、横にゼーバントを配置した構図であり、それを見たゼーバントは、すべてを知られたと思い狼狽(ろうばい)する。
映画のモデルであるゲルハルト・リヒターは、この手法により、1枚数十億円の値がつく人気画家となった。彼の作品は、日本では2016年に瀬戸内海の豊島(てじま)に恒久展示されている。




時代を通しての芸術

 本作は、旧ナチス高官の犯罪者を抱えるクルト一家の家族史、クルトとエリーの愛の物語である。そして、エリザベトの遺した「真実」という言葉を支えに、体制による社会主義リアリズム芸術に抗(あらが)い、画家の芸術的良心を貫くエピソードも描かれている。
剛直で、流れるような話の展開を見せる3時間超の大長編でありながら、実に見やすく仕上げられている。現在47歳のドナースマルク監督の2作目(前作は『善き人のためのソナタ』〈2006年〉)であり、力作であることは間違いない。
先述した、幼いクルトがエリザベトと乗った思い出のバスの件は、ガレージいっぱいに並んだバス群が一斉にクラクションを鳴らし、美術に開眼したクルトを祝福する場面につながる。






(文中敬称略)

《了》

10月2日(金)より、TOHOシネマズ シャンテほか全国ロードショー

映像新聞2020年9月28日掲載号より転載

 

 

中川洋吉・映画評論家