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『靴ひも』
心に染み入るヒューマンドラマ
家族を捨てた父と知的障がいのある息子
30年ぶりに親子2人の生活

 知的障がい者の困難な自立を描くイスラエル製作の『靴ひも』(2018年/ヤコブ・ゴールドヴァッサー監督、脚本・ハイム・マリン、ヘブライ語、103分)が公開される。わが国では上映される機会が少ない同国作品だが、海外では、作り手の頭脳明晰(めいせき)さが際立つ作品を見ることが多い。現在、イスラム諸国との武装闘争中で、明らかに国際法に反する力の行使を辞さない同国だが、本作は、人と人とのかかわり合いに重点を置くヒューマンドラマである。

 
主人公は、ある都市で小さな車の整備工場を営む中年男ルーベン(ドヴ・グリックマン)と、その1人息子で離婚により母親に引き取られたガディ(ネボ・キムヒ)である。ガディは知的障がい者で、面倒を嫌ったルーベンは妻と別れ家を出る。
身障者の養育を嫌う事例として、日本でも難病になった妻を置き去りにして離婚する記事を目にする。困った時にこそ助け合わねばならぬ夫婦の離婚、人道に反する行為であり、その人間は「人非人(にんぴにん)」と非難されても仕方ない。ルーベンも若い時は、その類(たぐい)であったであろう。

ルーベン(左)とガディ(右)  (C)Transfax Film Productions  ※以下同様

陽気にはしゃぐガディ(中央)

仕事に励むガディ(中央)

ルーベンに叱られるガディ

いつものレストランで仲間と一緒のガディ

ルーベンとガディ

ルーベン(右)とソーシャルワーカーのイラナ

新しい施設に入るガディ

困難な2人暮らし

 知的障がいのあるガディと生活を共にする母親が、突然の交通事故で亡くなり、30年近く別居中の父親たるルーベンが、今や36歳の成人であるガディを渋々引き取らざるを得ない状況に追い込まれる。ただし、受け入れ施設が決まるまでとの条件付きで。
2人はルーベンの狭いアパートで暮らすこととなる。今までのんびりと、自分の時間割で生きてきたルーベンにとっては煩わしい。一方、ガディも同様戸惑っている。知的障がい者は、一般的にこだわりが強く、協調性に乏しい。ルーベンがこの壁をいかに乗り越えるかが、本作の見どころの1つである。
少し脱線する。知的障がい者は、一般的生活では他人との交流が難しいとされている。喜びや怒りを爆発させ、人々を遠ざける向きは確かにある。障がい者クラスの教員によれば、彼らは率直に喜びを表に出す。この姿を見ることが、教育従事者にとって大変な喜びであるそうだ。
ガディの側からすれば、食事では、皿に数種のおかずが盛り付けられることを好まず、各おかずを離してもらう。これが食事の彼のこだわりであり、多分、母親がしてくれたやり方以外は受け付けないのであろう。支度するルーベンは「何と面倒なこと」と内心思う。
さらに、寝る前には足をもんでもらう習慣があり、ルーベンを煩わす。足のむくみを取るために母親がガディの足をもんでやったのだろう。ガディは、いつものやり方と違うと父親に文句をつける。今までやったことのない息子の足もみにルーベンは、頭にきている。
とにかく彼は、この厄介者をどう扱ったらいいのか見当もつかない。しかし翌朝、整備工場ではゲーム感覚で洗車をし、大喜びといったあんばい。それ以降、このガディのこだわりにルーベンは悩まされる。
成人男子が、奇妙な声を出し、おぼつかなく話す有様では、とても2人暮らしは困難であるが、父親の義務として息子と付き合わねばならぬ。 
  


レストランで

 ルーベンは、ただただ身障者との生活の煩わしさから逃れ、家族を捨てて家を出た経緯がある。しかし、彼は悪い人間ではない。昼食はリタが女主人のレストランで取る。親に死なれたリタの成人式を、ルーベンが代わりに祝ってやったことを今でも彼女は恩義に思っており、彼を父親のように慕っている。
明るく若いウェイトレスのアデルは、ルーベンが営む整備工場の従業員の恋人で、多分イスラエルでは少数派であろう黒人である。ご多分にもれず、基本的に白人国家である同国でも黒人差別はあるが、ルーベンの推薦もあってか、リタはアデルを躊躇(ちゅうしょ)せず雇い入れる。このように、彼は心の広い情の人である。



最愛の仲間

 
独り者のルーベンだが、ソーシャルワーカーの中年女性イラナの存在は特別である。ガディの担当でもある彼女は、整備工場によく顔を出す。
雑談をする2人は互いに思い合っていることは、はたから見ても分かるが、ある事件を契機として一層親密度を深める。言うならば、電話1本で会食に誘えるお仲間である。



ルーベンの病気

 物語の進行として脚本に工夫がなされ、ドラマとしての厚みが加わる。ガディ中心に走る物語だが、ルーベンは末期腎不全で人工透析が必要な状態になる。以前から、時折体調の悪さを見せる彼ではあったが。ここでガディの周囲とルーベンの葛藤が始まり、物語は新局面を迎える。この話の転換はよく考えられている。



特別給付金

 イスラエルでは身障者に対し、特別給付金支給制度がある。ガディは当然その対象者で、ソーシャルワーカーのイラナの勧めで特別給付金の申請をする。もちろん、ガディが1人になった時の自立資金である。ちょうどルーベンの末期腎不全の時期と重なり、イラナの親子に対する配慮でもある。
申請のためには担当者との面接があり、身障のレベルを見る。そこで、イラナの入れ智恵もあって、ガディは重度の身体障がいと思わせるために、靴ひもを結べないフリをする。
これは余談だが、わが国でも、介護レベル判定で重度と見せかける身障者がいるらしいが、大体は審査に当たるソーシャルワーカーに見抜かれるとのこと。




ルーベンの症状とガディの反応

 ルーベンの体調が悪化し、医師から腎臓移植の必要性が告げられる。ルーベンは突然の発作を何度も起こすが、喫煙はやめず、医師の忠告に言を左右する。
見兼ねてガディは、自分の腎臓提供をルーベンに申し出るものの、彼はかたくなに拒否する。ガディは、ルーベンの拒否を見て、自分に欠陥がると思い込み、部屋に閉じこもり、ハンガースト、そして薬の飲用も断る。普段は陽気だが、怒ると凄く、喜怒哀楽が激しい。
ここにきてルーベンは、ガディのことを面倒と思っていた態度に変化を見せ、徐々に父親の気持ちが強まる。そして、ガディが先の不安を思うあまり発作を起こしたことで、ルーベンはようやく2人の適合性検査を受けることをに納得、適合が認められる。
しかし、ここで難題が起こる。ガディの情緒不安定が引っ掛かり、ドナーには不適格とされる。再度の担当者との面接では、過剰な不安感で、芝居ではなく靴ひもが結べなくなる。しかし、イラナの奔走により、ガディのドナーの資格が認められ、いよいよ移植手術の段となる。




移植手術

 手術の成功を期待し、イラナ、レストランの女主人リタ、ウェイトレスのアデルが病室に見舞いにやって来る。身内意識なのだ。さらに、身近な人々が皆ルーベンを心配し病室に集まる。しかし、手術の後の感染症でルーベンは死去する。
ガディは新しい施設の受け入れが決まり、ルンルン気分で入所。そこには彼の好きな、歌のうまい、やはり知的障がいをもつ、太めの気の良い少女がいるからだ。
ここで作品の狙いがはっきりする。死は仕方なく、悲しいに決まっている。しかし、本作では死を跳躍台として、新しい人生へ踏み出す第一歩であることを提案している。前向きな考え方であり、万人に当てはまる教訓でもある。
ここで見られるのは、死者を思う気持ちは絆(きずな)を継続させるということであろう。心に染み入るヒューマンドラマである。







(文中敬称略)

《了》

10月17日より、シアター・イメージフォーラムほか全国順次ロードショー

映像新聞2020年10月12日掲載号より転載

 

中川洋吉・映画評論家