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『ストックホルム・ケース』
スウェーデンでの実際の銀行強盗を再現
心理現象の語源になった事件
恐怖が親近感に変わる人質の情動

 少し前のことになるが、「ストックホルム症候群」という言葉が話題となった。実際に起きた銀行強盗事件で、人質が犯人に同調する心理が語源となっている。この事件を映画で再現した『ストックホルム・ケース』(2018年/ロバート・バドロー監督〈カナダ人〉、カナダ・スウェーデン製作、92分)が公開されている。珍しい心理現象を扱う、クライム・スリラーである。

 
事件は、1973年8月、ジャン=エリック・オルソンがストックホルムのスヴェリゲストクレディット銀行に押し入り、収監中の犯罪仲間クラーク・オロフソンを釈放させ、女性3人(映画では2人)と男性1人の人質を取り6日間(8月23−28日)立てこもった。時のオロフ・パルメ首相は、犯人たちが出国のため人質とともに銀行から去ることを拒否した。
この事件をダニエル・ラングが『ザ・バンク・ドラマ』というタイトルで、1974年11月25日号のニューヨーカー誌に寄稿し、後に心理学者がこの現象を「ストックホルム症候群」と名付け、学術用語として定着した。
当時はベトナム戦争中であり、60年代から70年代初頭にかけての世界的な学生・労働者の反乱の季節の直後だった。保守的なニクソン大統領治下で、75年にベトナム撤退が実現したが、スウェーデンは社会民主主義的な状況に置かれていた。平和路線のスウェーデンで、強盗犯が起こした事件は特異であった。
このストックホルムでの事件の翌年(74年)には、米国の富豪、新聞王ハーストの孫娘が関与した「パトリシア・ハースト誘拐事件」が起きる。誘拐されたパトリシアは、逆に犯人の一味となり、銀行強盗に加わる。彼女の行動は「マインド・コントロール」によるものとされている。

ラース(左)と人質ビアンカ
(C)2018 Bankdrama Film Ltd. & Chimney Group. All rights reserved.  ※以下同様

ヨット上のラース

銀行からの退出

ラース

グンナー、ラースの強盗仲間

催涙ガス放射後の警察署長

ビアンカ(左)とラース(右)

催涙ガス放射で逃げ惑う人質と犯人

差し入れ待ちの犯人2人

ラースの出陣

舞台と主人公

 舞台は、整った街並みを背にした美しいストックホルム湾、季節は北欧の一番輝く夏の8月。1人の男が、ヨット上で鏡をのぞきながらハサミでヒゲをそろえている。この場面、何かほのぼのとしたユーモアが漂う。ヒゲの後は、長髪のカツラを被りサングラスをかけ、アメリカン・スタイルで極める。
これが主人公のラース(イーサン・ホーク、バドラー監督の『ブルーに生まれついて』〈1915年〉の主演)である。そして、大きなズダ袋を片手にタクシーに乗り込み、港の一隅の銀行へ向かう。彼の極めたスタイルを見て、タクシー運転手は「どこかのロック・フェスへ行くのか」と面白がっておちょくる。
銀行に到着し中に入るところで、老婦人が出てくる。彼は彼女に道を譲り、礼を言われる。礼儀正しいのだ。次いで、銀行のカウンターにズダ袋を置き、まずラジオと自動小銃を取り出す。一転して、親切な中年男が銀行強盗の本性を現わす。客、行員を外へ出し、「ショーの開始」と叫び、有名な銀行強盗劇の幕は切って落とされる。
人質として2人の女性銀行員だけ残される。年長の大きなメガネをかけたビアンカ(ノオミ・ラパス、スウェーデン人、『ミレニアム ドラゴン・タトゥの女』〈09年〉で認められ、今や世界的に注目を集める女優の1人)、そして、もう1人がクララ(ビー・サントス、カナダ人)である。 
  


ボブ・ディランの歌

 BGMとしてボブ・ディランの歌が4曲流れる。特に、冒頭から流れる『新しい夜明け』が印象深い。バドロー監督の狙いは、銀行強盗ラースが抱く米国文化への強い憧れの1つとして、ディランの曲を劇中歌としての採用だ。
ディランの音楽はワイルドで、エキセントリックで詩的な美しさがあり、荒々しい本作の雰囲気に抗(あらが)う意味で成功している。実際、彼の曲の登場により、米国的な感じがあふれ出す。



文化の違い

 
この銀行強盗に対するスウェーデン政府の対応は、ほかの国々と明らかに異なる。実際、米国やフランスのような警察の対処の仕方とは、文化性の違いが見られる。スウェーデンの場合は、人を殺さないことを原則とし、他国は殺しても構わない立場である。この強盗犯も殺されず逮捕され、刑務所送りとなる。
1972年9月、ミュンヘン五輪開催中に起きたパレスチナ過激派によるテロ事件では、政治犯が要求した飛行機で国外へ逃げる算段であったが、西独警察との銃撃戦で人質全員が死亡。その後、イスラエル政府は復讐のためパレスチナのテロ組織の指導者たちを大量に暗殺した。いわゆる「ミュンヘン五輪事件」である。
文化の根元が異なるスウェーデンでは、この銀行強盗における平和的対処は、イスラエルの強硬な姿勢とは大いに異なる。



2人の主人公

 実質的な主人公は、犯人のラースと人質の女性行員ビアンカの2人である。ラースは、ビアンカとクララを除いて全員を外へ出す。ただし、途中で行内に潜んでいる元船員の中年のコソ泥を捕え、3人目の人質となる一幕もあるが、これはオマケの人物。
ラースは気が短く、突っ張り型だが、元来、人の良い米国かぶれの"ズッコケあんちゃん"である。銀行に乗り込み、最初から老婦人にドアを開けレディ・ファーストとばかりに先に通す姿は、普通の人で凶悪犯罪者とは到底思えない。
実際、2人目の人質、女性行員クララが予定より早く来た生理に戸惑い、オロオロしながら警察に生理用品を要求するラースの姿は滑稽(こっけい)である。武骨な男が生理用品を要求するチグハグさに笑え、とても銀行強盗とは思えない。
また、女性たちが用を足す段では、1人を人質に残しトイレに行かせるが、ちゃんと戻って来るあたり何だかおかしみがある。普通なら、ここで逃げても不思議ではない。
特にビアンカは、小銃片手のラースへの恐怖が親近感に変わり、最後は金庫の暗闇の中で愛を交わす。まさに誘拐や監禁事件において、被害者が犯人との間に気持ちのつながりを築く心理現象「ストックホルム症候群」を地で行っている。




作品構成

 時系列の物語展開、次にどうなるかと思わす期待感を抱かせ、クライム・スリラーとしての見せ方のツボを押さえている。最初は、ヨット上の中年男、主人公のラースのヒゲそろえ。何かのどかささえ感じさせる。そして銀行へと乗り込み、最初はさっそうとキメて警察署長を呼び出し、要求を突き付ける。銀行強盗の面目躍如である。
意気揚々と、お気に入りのボブ・ディランの曲(『Tonight I'll Be Staying Here With You』)を警官に無理に歌わすあたり、犯人として型破りであり、何か気が抜ける思いだ。全体的に強弱の付け方の演出に工夫がある。
ラースの最高のズッコケぶりは、警察に生理用品を要求する下りだ。短気なラースは、オロオロしながら怒鳴り散らす。金の要求ではなく、人質の女性のためのドタバタ劇。銀行の2階に本部を構える警察も面食らう。そもそも、1階は強盗が占拠し、2階に警察が本部を設ける珍風景。いかにも、スウェーデンののんびりした社会そのものだ。
話は進み、犯人が次々と出した要求が受け入れられ、一時的に安堵の空気が流れる。その中で、互いに好印象を持ち始めたラースとビアンカの接近、これが実話かと思わす、考えられぬ成り行きである。
ラストは、警察による天井からの催涙ガス注入で、人質やラースたちはあっさりダウンし警察の勝利となる。1人も殺さぬ、政府の完勝である。
本作は強盗事件でありながら、ズッコケ、ラースの気の良さと人質ビアンカの彼への傾斜は、ラブ・ストーリー仕立てとなっている。ここがバドロー監督の最後の見せどころで、暖かさがあり、見る者を和(なご)ませる。
実際の犯人のその後だが、刑務所入り十数年収監、そして出所後はタイへ渡り、24年間タイ人女性と暮らしたと伝えられている。実話の面白さを生かした作品で、見る価値はある。





(文中敬称略)

《了》

11月6日からヒューマントラストシネマ渋谷、シネマート新宿、UPLINK吉祥寺ほか

映像新聞2020年11月9日掲載号より転載

 

中川洋吉・映画評論家