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『心の傷を癒(いや)すということ』
実在した精神科医の患者との触れ合い
大震災での被災者の心をケア
NHKドラマを再編集した劇場版

 最近の日本映画の傾向として、医師を主人公にした作品群が登場するケースが多い。直近の例だと、訪問医師・長尾和宏の信念と活動を取り上げた『痛くない死に方』(2020年/高橋伴明監督)、同じく長尾医師の患者との触れ合いを描いたドキュメンタリー『けったいな町医者』(20年/毛利安孝監督)などの傑作の存在が目立つ。今回紹介する『心の傷を癒(いや)すということ』(20年、116分)は、NHKで放映されたテレビドラマの劇場版である。

  本作『心の傷を癒(いや)すということ』(以下、『心の傷』)の背景は、1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災である。NHKドラマは震災25年後の2020年に企画・放映された。実在した精神科医で、神戸在の安克昌(あん・かつまさ/1960−2000年)の短い一生を追っている。
在日の彼は、精神科医として、震災の真っ只中、寝食を忘れて、多くの被災者の「心のケア」(診察)にあたった。病院で患者を診る以外に、進んで避難所などへ足を運び、被災の状況を把握し、診療とともにカウンセリングもする行動の人でもあった。
もともと、優秀な医学学徒であった彼は、柔和な性格で、しかも腕の立つ精神科医として多くの人々に慕われた。その中には、少なからず医療スタッフもいた。

医師・安和隆  (C)映画「心の傷を癒(いや)すということ」製作委員会  ※以下同様

和隆・終子夫妻

父を囲んでの夕食

避難所の和隆医師

精神科病室の和隆医師

ジャズピアノに興じる和隆

港の見える丘の上でのプロポーズ

親友浜田とともに

身重の終子を気遣う和隆

作品の生い立ち

 劇場版『心の傷』は、監督名がクレジットに記載されておらず、不思議な感がある。その理由は、2020年1月18日から2月8日までNHK総合の「土曜ドラマ」として、全4回(各49分)放映されたテレビドラマを下敷きにしている(BS4Kでも放送)。その後、再編集したスペシャル版が関西地方で放送、昨年11月深夜には全編が再放送された。
そのテレビドラマを劇場版用に再編集したのが本作である。よって、監督は2人のテレビ・ディレクターで、タイトルには記載されなかった。テレビ版の演出は、安達もじり、松岡一史、中泉慧の3人が担当した。
主人公のモデルである安克昌は、臨床報告としてまとめた『心の傷を癒すということ−神戸…365日』(作品社刊)を、忙しい日常業務の合間に書き続け、このレポートが原作となった。
一応、本作では原案と表示され、その原案をベースに脚本作家、桑原亮子の数々の取材を経て劇場版が完成した。音楽は世武裕子が担当。"世武節"と呼ばれる、軽く弾むようなポップ調のピアノ演奏が心地良い。 
  


少年期

 モデルとなった安克昌は、当初は日本姓・安田を名乗っていた。しかし、ある時、母親の外国人登録証明書を目にし、それまで日本人と思っていた自身が、在日韓国人であることを知らされた。日本名・韓国名の選択に悩み、最終的に、韓国姓「安」を名乗る。
主人公には兄弟がおり、長兄の安智明(森山直太朗)は東大原子力工学科の研究者、三男の壮介(上川周作)は父の事業を引き継ぎ、次男で主人公の和隆(柄本佑)は医師である。彼らの父親(石橋凌)が事業に成功し、裕福な家庭を築く。
父親の人物設定が興味深い。仕事から戻れば、妻と男子3人の子供たちは、玄関へ出て彼を迎える。父親は殿様然とし、「フロ」と一言。戦前の日本の親父のたたずまいだ。この石橋凌の父親役から、改めて日本の家父長制度を感じさせる、ハマリだ。一言でいえば「感じ」そのもの。
夕食時、上座の父親は、子供たちに将来の希望を聞く。長兄は研究者、父親のご満悦の態、「さすが俺の息子」と顔に書いてある。次男の和隆への質問、彼は医学部精神科希望と告げ、父親の怒りを買う。
当時、精神科は精神障害者相手の医者と世間で思われた時代であった。和隆は「精神科とは、人間の心を専門とし、ただの金もうけとは違う」と反論。この発言こそ、和隆の医師としての原点であり、短い一生、自らの信条を貫いた。



映画館の恋

 
医学部を卒業し、晴れて精神科医になった和隆は、秀才でありながら、ジャズピアノに通じ、診察後、神戸のジャズライブにしばしば顔を出し、プロはだしの腕前を披露する。この演奏場面が見事で、音楽担当の世武裕子の手ほどきがあったのかと、思わず想像してしまう。
医者としても、神戸大学医学部付属病院の精神科医として順風満帆の毎日を送る。その間、映画好きの和隆は市内の名画座に通い、「小津安二郎特集」の『東京物語』を見る。その名画座で、隣席の若い女性(尾野真千子)と知り合う。
終映後、和隆がオズオズと「お名前は」と尋ねると、彼女から意外な答えが返ってくる。「変な名前で言いたくないのです」と。最終的には「終子」という名を聞き出し、和隆も自己紹介する。そして、思い切って「在日」たる自分の出自を明かす。それを聞いた終子は、さして驚く様子もなく「自分も」と答える。ここで2人の仲が一挙に縮まり、後はすんなりと2人は結婚し、一子、春子をもうける。



阪神・淡路大震災

 1995年1月17日、歴史に残る大震災が起こる。マグネチュード7.3、死者6434人、後の東日本大震災に次ぐ被害である。ここで、和隆一家と病院の様子はガラリと変わる。医師たる和隆は被災者収容場に駆け付け、ケガや死者の姿を目の当たりにし、それこそ足腰の立たぬようなショックを受ける。
避難所の体育館には、死んだ子供を抱いた母親、赤子は圧死している。しかし、顔面はピンク色、まるで生きているようだ。動転した両親は見回りの看護師の手を放そうとしない。未だに生きていると思い込み、必死に赤子の蘇生を願うのだ。
和隆は徹夜の連続で、暇を見ての食事中に箸を持ったまま眠り込むほどの極度の過労である。さらに、大阪に避難した終子は被災ストレスに陥る。そこで、和隆は思い切って終子と子供を神戸に連れ戻す。家では、韓国の事業に失敗した父親が寝込み、病院と家庭の困難が一気に彼の双肩にのしかかる。
ケガ以外に、明らかに精神に異常をきたしている被災者は、最初は精神科医の彼を拒絶する。そのうちに、少しずつ心を開き始め、ポツリポツリと心境を語り始め、和隆は彼らの苦しみを優しく受け止める。また、病院でも、震災の後遺症で不眠症に悩む若い女性が求める診察に、丁寧に応じる。
有能な和隆は34歳で精神科医長を務めるほどであるが、ケガ、精神に異常をきたす人々、そして、何よりも揺れ続く余震(震度3、4は当たり前)におののく人々に対し、自らの能力不足を責めるばかりだ。穏やかで力みのない柄本佑の和隆役、本年度の主演男優賞候補だ。
折も折、病院に1人の新聞記者が彼を訪れ、被災の状況の原稿を依頼する。記者も、被災者を助けられぬ負い目を感じ、医師の彼の意見を求めに来たのだ。最初は、それどころではないと固辞する和隆だが、記者の熱意に押され受けることになる。その激務の合間にレポートを書き綴る。これが、後に本作の原案で、既述の『心の傷を癒すということ−神戸…365日』となる。
ちょうど、そのころに和隆は背中の痛みを感じる。ガンの発生だ。痛みに耐えながら仕事を続ける彼。ある日、彼を精神科医に導いた恩師の訪問を受ける。そして、既に公刊された和隆の著書の一節を引用し、「辛い時は言葉を口にした方が良い。決して、はしたないことではない」と激励する。
和隆は医師として「誰も独りぼっちにさせないことが大切」と説く。これこそが、彼の目指した精神科医のなすべき「心のケア」である。彼は自らの信条を実践し、震災におびえる多くの被災者に接したのであった。
安克昌は、2000年に夭逝。39歳の若さであった。





(文中敬称略)

《了》

1月29日、新宿武蔵野館ほか全国順次ロードショー

映像新聞2021年1月25日掲載号より転載

 

中川洋吉・映画評論家