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『スーパーノヴァ』
長年連れ添った同性カップルの愛
初老の2人が迎える人生の最終章
英米を代表する名優が競演

 最近、英国の秀作の公開が続いている。例を挙げると、『アンモナイトの目覚め』、『サンドラの小さな家』で、いずれも英国・TV局製作である。今回取り上げる『スーパーノヴァ』(2020年/ハリー・マックイーン監督・脚本、英国BBCフィルム製作、95分)は、まずスクリーン上に星空が映される、科学の用語を思わすタイトルを持つ作品だ。一体どんな物語か、興味をそそる。
 
本作は、今年日本で上映される洋画の傑作の1本と、筆者は踏んだ。初老の2人の男が迎える人生の最終章を描き、この同性カップルの心の通わせ合い、友情、彼らを取り巻く周囲の人間の優しさといたわり、そして、英国の田園風景の美しさが、見る者を魅了する。

タスカー(左)とサム(右) 
(C)2020 British Broadcasting Corporation, The British Film Institute, Supernova Film Ltd.  ※以下同様

会食

天体観測

キャンピングカー

ダイナーにて

ハグ

寝転ぶサム

サム

タスカー

ピアノの前のサム

コンビの2人

 登場人物は、ピアニストのサム(コリン・ファース)、小説家のタスカー(スタンリー・トゥッチ)の同性愛コンビ、大変ぜいたくなキャスティングだ。コリン・ファースは二枚目の役柄が多い、英国の誇る男優であり、あの美男が老け役のピアニストとはうれしい驚きだが、これが「感じ」なのだ。そして、タスカー相手に徹底的に受けの芝居作りで応じる。
一方、スタンリー・トゥッチは米国の誇る名優で、人間味あふれる芝居で勝負するタイプと見受けた。役柄の広さで、多くの監督が使いたがる逸材と思える。皮肉たっぷりな面、その逆の、死に行く人間の苦悩を演じる芝居をやってのける。 
  


2人の関係

 初老のサムとタスカーコンビは、どのような関係かをはっきりと示す冒頭場面が、裸の男2人の寝姿である。
この2人がキャンピングカーを駆り、最初の目的地、時が止まったような湖水地方へと向かう。流れる音楽は、1965年のドノヴァンが歌う「Catch the Wind」で、旅の始まりのノリの良さが心地良い。この風景の映像は見ものである。田園風景が光線の加減で刻一刻と変化する美しさは印象的で、映像の冴(さ)えに舌を巻く。
撮影監督は、名手ディック・ポープ。マイク・リー監督の『秘密と嘘』(1996年)、『ヴェラ・ドレイク』(2004年)、『ターナー、光に愛を求めて』(14年)の名作を手掛けている。名前を記憶に留めておくべき撮影監督だ。



2人のドライブ

 
行く先は、2人が20年前に出会った思い出の場所である。ちょうどサムのピアノ演奏会があり、タスカーが同行する。センチメンタル・ジャーニーといったところであろう。
もちろん、気の合った同志の旅だが、2人の思いは別のところにある。物語はそれを諄々(じゅんじゅん)と解き明かす。その道筋の付け方、一見シンプルだが、相当手の込んだ運びであり、演出力を感じさせる。
キャンピングカーのハンドルを握るサム、1人無言のタスカー、何か不機嫌そうにも見える。その彼、時々皮肉を言うが、サムは軽く受け流す。2人の流儀であろう。英国人の体質である皮肉っぽさが顔を出す。皮肉屋の小説家の設定は、英国的で悪くない発想だ。
車中、地図で行先を探すタスカー、だがメガネがない。すかさずサムが、タスカーの頭に掛けたメガネを取ってやる。さり気ない所作だが、2人の親密度が伝わる、練り上げた芝居とも見える。



途中下車

 一休みのドライブイン、軽めの食事を取るがタスカーは食欲がない。それを心配するサム。しかし、座を盛り上げるためにタスカーは、ウェイトレスに「サインをしようか」と持ち掛ける。識者の間では小説家として通る彼だが、田舎のおばさんには全く通じず「変なジジィ」扱い。
スーパーで夕食の買い物をするサム、車に戻るとタスカーの姿が見えない。一大事とばかりに彼を探すサム。当のタスカーは湖のほとりで愛犬を連れ、何ごともなかったようにボーっと立っている。思わずサムはタスカーを抱きしめる。ここは、2人の強い結び付きを見せる段だ。
そして、キャンピングカー内のサム手作りの夕食だ。(実際はロケ中、タスカー役のスタンリー・トゥッチが得意の料理を作ったそうだ)。



失踪の後の夕食

 夕食後、タスカーが「もう薬は飲まない。飲んでも治る見込みがない」と告白。「そこまで進行しているのか」と、彼の病状の深刻さを改めて知るサム。タスカー自身は終末医療を放棄、自然死を選び、「無理してまで生きるつもりはない」と語る。何も言えないサム、何を話していいのか分からない状態だ。


タイトルの意味

 湖畔での1泊の前、2人は、タスカーの趣味の天文について語り合う。タスカーは宇宙の成り立ちをサムに語って聞かせる。「宇宙の星は、その一生を終える時、花火のように大爆発し、その破片が我々人間を作り上げる」と説明。あたかも、大きな星とちっぽけな人間のことを言っているようだ。
タイトルの『スーパーノヴァ』(超新星)は、人間と大宇宙のメタファーと受けとれる。



姉の家

 今回の旅のハイライトは、サムの姉リリアン宅の訪問だ。森の中の真っ白な一軒家で、リリアン、夫、娘が出迎える。久し振りの再会だ。
20年来の顔見知りのリリアンとタスカー、彼は彼女に向かい「どちら様で」と軽く冗談を飛ばす。西欧社会独特の日常的ユーモアセンスだ。このあたりのエスプリ(機知)、実に楽しい。



友人たちとの会食

 タスカーは友人たちと連絡を取り、リリアン宅で大掛かりな夕食会、サムには知らせないサプライズパーティー。久しぶりの友人たちも多く、皆上機嫌で食卓に着く。
そして、タスカーが用意した1通のレターを読み上げるが、感極まった彼に代わり、サムが代読。この場面が『スーパーノヴァ』のヤマ場となる。
そこには、サムの実家は自分にとり故郷であること、そして、友人たちの前で自分の病状は記憶障害であることを公表。さらに、思い出がずっと2人を繋ぎ続けるであろうことを。今まで生きてこられたのはサムのお陰で、彼は自分にとり最愛の親友と、最大級の謝辞で締める。泣かせ場である。



木箱の中

 キャンピングカーに1人で戻ったサム、そこで小さな木箱を見つける。中には1枚のレター、ただただ、サム、サムと名前だけを書き連ねてある。さらに、1本の小ビンを発見。自殺用の劇薬のようだ。タスカーのサムには迷惑を掛けまいとする心遣いであろう。


別れ

 2人にとり、今後の生きる選択肢は限られている。サムが友の安楽死を受け入れることである。「行かせてくれ(天国へ)、唯一の解決方法だから」と、滅多に涙を見せないタスカーの懇願。そして、暗い部屋での2人の抱擁。この場面、全くの音楽なし、2人を分かつ死の影がより強くなる。絶妙な音の消し方だ。
翌朝、目を覚ますタスカー、サムは今日の演奏曲の練習だ。2人は窓辺に寄り、両手を握り合い、抱き合う。終末を感じさせる。ラストは、サムの演奏会、エルガーの「愛のあいさつ」が流れる。
作品の格調、目の詰まった物語構成、役者の練れた芝居、流麗な映像、そして、抑えた演出(心の通じ方を見せるための手を握る動作など)、見るべきところが多い作品だ。




(文中敬称略)

《了》

7月1日TOHOシネマズ シャンテ他 全国順次ロードショー

映像新聞2021年6月14日掲載号より転載

 

 

中川洋吉・映画評論家