「カンヌ映画祭2007 その(1)− 受賞作品」
第60回カンヌ映画祭は5月16日から27日まで開催された。本年は大統領選の年であり、そのため例年より1週間遅れであった。
60周年記念の特別の年であり、以前より人出は確実に増え、夏日を思わす好天候の中で催されたカンヌ映画祭の発展振りはまだまだ右肩上がりの状態が続いている。
サルコジ新大統領政権下で、任命されたばかりの女性文化大臣クリスティーヌ・アルバネルがカンヌに姿を現わし、新政府のお披露目役を果した。保守・革新政党による内閣の交代で文化大臣は変わるが、カンヌ映画祭はそれに影響されることなく、今後の急激な変化の様子も見て取れない。
第2次世界大戦直後の1946年に第1回を迎え、現在ではイタリア、ヴェネチア映画祭に次ぐ歴史を誇り、規模的には、他の追随を許さず、映画祭の中の王様として世界中から認知されている。そして、大多数の映画監督は、カンヌ出品を熱望する程の権威を有している。
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(c)八玉企画
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カンヌ映画祭の質的内容について、ジル・ジャコブ会長は「クレム・ド・クレム」(クリームの中のクリーム−最上の意)と語ったが、彼の自信は、決して大袈裟ではない。現在、選考はナンバー2のティエリー・フレモ アートディレクターの専権事項で、彼が世界中の映画を見てお気に入り作品をピックアップしている。秀作、傑作と共にお気に入り作品にこだわるあたり、選び手の顔や個性が見え、映画祭自体のバックボーンを形成している。会長昇格以前はジル・ジャコブが選考を一手に手懸け、今はフレモにバトンタッチしているが、万年映画青年ジャコブが選考に噛まない訳がないとの噂は絶えない。しかし、選考に関しては2人とも全く事情を語らず、ジャコブの関与がどの程度かははっきりしないが、年々、ジャコブ色が薄れ、フレモ色が浸透している。
今年のコンペ作品は22本、その内既にパルムドール(最高賞)受賞の、コーエン兄弟監督(91・「バートン・フィンク」)、クエンティン・タランティーノ監督(94・「パルプ・フィクション」)、エミール・クストリッツァ監督(95・「アンダーグラウンド」)、ガス・ヴァン・サント監督(03・「エレファント」)が顔を揃えた。コンペ外の特別招待でも、スティーヴン・ソダーバーグ監督(89・「セックスと嘘とビデオテープ」)、マイケル・ムーア監督(04・「華氏911」)、60周年記念オマージュではクロード・ルルーシュ監督(66・「男と女」)、エルマノ・オルミ監督(78・「木靴の樹」)、フォルカー・シュレンドルフ監督(79・「ブリキの太鼓」)等、超豪華メンバーのよる作品が一堂に会した。これだけの作品が量的に揃うと、見る側は全部追えず、これがイライラの因(モト)となる。
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カンヌ映画祭の審査員(c)八玉企画
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今回は、60周年記念に因んだ、大物スターやハリウッド女優の起用はなく、寧ろ渋めの人選であった。委員長は最新作「クイーン」で知られる英国人監督、スティーヴン・フリアーズ。既にカンヌに何本も出品し、英語圏監督として腕を振う今年66才の大物の彼は、社会と人間との在り方を描く作家であり、我が国でもっと評価されるべき存在である。又、フリアーズ作品は映画的感興が高く、見て面白い。脇を固めるのが、フランスの名優ミッシェル・ピコリ、昨年のノーベル文学賞受賞のトルコ人作家オルハン・パムク、唯一の東洋人で2004年の「クリーン」で、カンヌ映画祭主演女優賞を得た、香港のマギー・チャン等、9名から構成される。
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「4ヶ月、3週間と2日」(c)八玉企画
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最高賞のパルムドールは、ルーマニア作品、クリスティアン・ムンジウ監督の「4ヶ月、3週間と2日」が獲得。チャウシェスク共産党政権の末期(1989年頃)を時代背景とし、当時違法だった人工妊娠中絶を女子大生が行った事件を扱った作品。当時の社会情勢がひしひしと伝わり、過度の官僚主義、社会的インフラの遅れ、そして、自由を抑圧された市民生活が諄々と語られる。ルーマニア社会の日常の感性が見る側へ移入されるところに、この作品の価値がある。但し、リズムが遅いというより無きに等しく、ケレン、ハッタリと全く無縁で、作品のオーラが脳波を捉えるのに冒頭から30分位掛かる。東ヨーロッパ作品は映画作りの基本コンセプトが違うのではなかろうか。「4ヶ月…」は、最初は戸惑い、身終わり、ずっしり効き始める、そんな作品だ。
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ムンジウ監督(c)八玉企画
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ムンジウ監督は今年39才、2002年に「オクシデント」で各国の映画祭での受賞をきっかけに、世界の桧舞台に登場。彼の受賞以来ルーマニア映画の上昇傾向が始まった。昨年のカメラドール、同じく昨年と今年の「ある視点」賞、そして、本年度の「ある視点」賞の審査員と多士済々の人材を輩出している。東ヨーロッパではロシア映画の復調が目覚しいが、同様に、ルーマニアでは共産主義政権崩壊後の若い世代が成長してきている。但し、同国の映画入場者は280万人、映画館数は70、製作本数は10本と困難な状況下にあるが、若手、中堅監督たちの国際的な活躍は突出している。
第2席のグランプリは、日本の河瀬直美監督「殯(モガリ)の森」で、この作品については日本映画の項で触れる。
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「エッジ・オヴ・ヘヴン」(c)八玉企画
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本年は、アメリカを中心とするウェルメイドな作品と、欧州勢による個性的な作品の2つの潮流があった。相異なる作品を揃えるあたり、カンヌ映画祭独自の目配りであり、多様性をもたらせている。
筆者の個人的パルムドールは、ドイツのファティ・アキン監督の「エッジ・オヴ・ヘヴン」だ。脚本賞を得たが、これだけでは惜しい。トルコ系ドイツ人のアキン監督は弱冠34才の若々しい容貌の持主だが、既に2004年には「愛より強く」でベルリン映画祭金熊賞を獲得、2005年のカンヌ映画祭では審査員と、この若さで既に大物の片鱗を見せている。
ドイツとトルコを舞台に3組の人々が織り成す、美しくも強烈な生き様が主調となっている。
家族、在独トルコ人の境遇、そして、トルコの反体制運動を描き、現代のドイツにおけるトルコ系住民の生きにくさがきっちりと捉えられている。物語の主要部分は、ドイツ人女子大生とトルコ人反体制運動活動家女性との友情と、それを見守る母親の存在である。その母親には往年の大女優で70年代のニュージャーマンシネマの旗手、ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー監督作品のミューズ、ハンナ・シグラが扮している。カンヌでも主演女優賞を獲得した彼女の登場は驚きであった。
現在のドイツの社会状況とトルコ系住民の生き難さに触れる脚本の構成力、そして、人間同士の強い結びつきが畳み掛けるリズムで描かれ、何よりも若さの躍動が渦巻いている。見るべき作品だ。
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「潜水服と蝶」(c)八玉企画
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アメリカ人監督ジュリアン・シュナーベルの手に成る「潜水服と蝶」に監督賞が与えられた。監督はアメリカ人だが、作品自体は完全なフランス映画。有名な原作の映画化であり、女性誌「エル」の編集長が潜水事故により、全身麻痺で廃人同様となり、その彼が僅かに動く片目の動きだけで小説を書き上げる実話で、当時、フランスで大変話題になった。しかし、彼は執筆10日後逝去。数年前、フランスのジャン=ジャック・ベネックス監督がドキュメンタリー化したことでも知られる。
全く自己の感情を表現出来ない主人公の内面の声が、オフで語られ、彼自身の本音が発せられる。例えば見舞い客の一人に対し「何でこの男が来たのか」と不快の念を示すくだりは巧まざるユーモアがある。全体に深刻な難病モノではなく、率直な人間感情がおかしみをもって伝えられ、そこが作品を見易く、軽ろみを与えている。良く出来た作品だ。
パリでの4月19日の作品ラインアップ発表記者会見で、アメリカ作品の豪華さはプレスの多くに驚きをもって迎えられた。
コーエン兄弟監督の「ノー・カウントリー・フォー・オールドメン」(トミー・リー・ジョーンズ主演)、クエンティン・タランティーノ監督の「デス・プルーフ」、デヴィド・フィンチャー監督の「ZODIAC」、ジェームズ・グレイ監督の「ウィ・オウン・ザ・ナイト」、ガス・ヴァン・サント監督の「パラノイド・パーク」等である。特に、「ノー・カウントリー
…」と「ZODIAC」のウェルメイドな面白さは一見に値する。「パラノイド・パーク」は前作「エレファント」でパルムドールを得たガス・ヴァン・サント監督作品で、テーマを収斂させず、寧ろ拡散させ、フラッシュバックを多用し物語を構成する前作同様のテクニックを踏襲している。しかし、見る側にとり、この手は先刻ご承知で、鮮度に乏しく、二番煎じの感がある。タランティーノ監督の「デス・プルーフ」は2部構成、2時間を越す長尺の冗舌な作品だ。しかも不良少女たちが意味もなく寄ってたかって男一人をなぶり殺す、暴力のための暴力を描き、作者の意図が何処にあるのか伝わらない。乱暴に極めつけるなら「ハナシが下らなすぎる」。
今年の受賞結果は、アメリカ作品や大物監督作品より、寧ろ、地味な東ヨーロッパ作品、個性的な作品に票が集り、それ故に、河瀬作品のグランプリも可能になったと考えられる。
●受賞作品一覧
パルムドール |
「4ヶ月、3週間と2日」 |
クリスティアン・ムンジウ監督 |
グランプリ |
「殯の森」 |
河瀬直美監督 |
第60回記念賞 |
「パラノイド・パーク」 |
ガス・ヴァン・サント監督 |
脚本賞 |
「エッジ・オヴ・ヘヴン」 |
ファティ・アキン監督 |
監督賞 |
ジュリアン・シュナーベル監督 |
「潜水服と蝶」 |
男優賞 |
コンスタンチン・ラヴロネンコ |
「バニッシュメント」 |
女優賞 |
チョン・ドヨン |
チョン・ドヨン 「シークレット・サンシャイン」 |
審査委員賞 |
「ペルセポリス」
「サイレント・ライト」 |
マルジャン・サトラピ、ヴァンサン・パロノ監督
カルロス・レイガダス監督 |
カメラドール(新人監督賞) |
「メドゥゾット」 |
エトガール・ケレット、シラ・ゲッフェン監督(批評家週間) |
「ある視点」賞 |
「カリフォルニア・ドリーミン」 |
クリスティアン・ネメスク監督 |
「批評家週間」賞 |
「XXY」 |
ルシア・プエンゾ監督 |
国際批評家賞 (FIPRESCI) |
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コンペ部門 |
「4ヶ月、3週間と2日」 |
クリスティアン・ムンジウ監督 |
監督週間・批評家週間 |
「彼女の名はサビーヌ」 |
サンドリーヌ・ボネール監督(監督週間) |
(文中敬称略)
《続く》
中川洋吉・映画評論家
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