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「ドイツ映画祭2007」

「ドイツ映画祭2007」は今年で3回目を迎え、例年通り有楽町朝日ホールで6月8日から12日まで開催された。
新作12本、そして、エルンスト・ルビッチ特集として3本がピアノ、ヴァイオリンつきで上映された。
年々、知名度が上がるドイツ映画祭、今年の観客動員数は、昨年比40%増と、好成績を収めた。しかし、平日や午前中は空席が目立った。この辺りが改善点であろう。
ドイツ映画輸出公団、ドイツ文化センター、朝日新聞社文化事業部の共同主催であり、フランス映画に比べ上映機会の少ないドイツ映画が集中的に見られる良い機会だ。現在のドイツ映画は、世界的に見て上昇気流に乗り、しかも若手の抬頭が著しく、注目すべき作品を多く送り出している。

日本でのドイツ映画

アメリカ映画が絶対的優勢を誇る日本市場でのドイツ映画の存在感は、少しずつではあるが上向いている。「ヒトラー〜最期の12日間〜」、「白バラの祈り−ゾフィー・ショル、最期の日々」、「青い棘」、「愛より速く」、「素粒子」は映画祭上映作品である。「愛より速く」のファティ・アキン監督は今年カンヌ映画祭に「エッジ・オヴ・ヘヴン」を出品し、脚本賞を獲得、34才のかれ、国際的知名度を更に上げた。
 70年代、その名を世界に馳せたニュージャーマン・シネマ後は、国際性のあるスターや監督の姿が見られず、その存在感が希薄であった。しかし、ここ数年、若手世代監督の抬頭により、再び脚光を浴び始めた。
 日本で、再脚光のきっかけを作ったのがドイツ映画祭といえよう。
 地味でスター性の乏しいドイツ映画、実際に目にすれば、その骨太さに驚かされる。


「戦争の子供」

「戦争の子供」
現在、自身が生きる社会に無関心でいられない映画作家は、ボスニア難民や、都市内の格差や少年非行問題に目を向けた。
「戦争と子供」(クリスティアン・ヴァーグナー監督、48才)は、ボスニア難民の子供探しを扱っている。ドイツの隣国、ボスニアでは、先の戦争中に2500人の子供が行方不明となっている。物語は、ドイツに密入国した若い母親が苦しい生活の中行方不明の娘を探すもので、戦争の傷跡の深刻さ、隣国の悲劇を知らないドイツ人たちと、今の時代の問題を衝いている。
 尚、この問題が一層深刻なのは、戦争孤児として養子に出された子供たちの親権は、育ての親にあり、生母にないことである。このため、数々の悲劇が生まれている。養父母の権利たる親権、考えれば至極当然であり、ここに問題の根深さがある。この悲劇、その根源は、今一度、戦争そのものの拒否、否定しかなく、そのための問題提起である。
 終映後の、ヴァーグナー監督とのQ&Aで、質問に立った若い男性、会社を休んでの来場とのこと、ドイツ映画祭は良いお客さんに恵まれたものだ。

「タフに生きる」

「タフに生きる」

社会的視点の強さを持つ作品に、もう1本「タフに生きる」(デトレフ・ブック監督、45才)がある。いわゆる《若者ギャング映画》の範疇で、日常的暴力と少年非行問題を正面から採りあげている。
 ベルリンの低所得者層地区へ、高級住宅地から母子が移り住む。移民の多い地区で、少年は、学校ではトルコ系移民の不良共のエジキ餌食となり、暴力的に金銭をせびられる。その彼を助けるのが、アラブ系移民の暴力団。この組に庇護される少年は、麻薬売買の使い走りをするが、ある時、代金を不良たちに奪われる。親分は、不良の殺人を命じ、不本意ながらの殺人を犯す。
 荒れる学校、少年非行、移民グループの抗争、背後に存在する社会的格差など、現在の都市が抱える問題が網羅される。そして、ドイツだけの問題でないことが理解できる。描かれる生きニク難さが見る者の胸に迫る。激しい画面と共に力を与えるのが、ビートの強いロック音楽。ラテン民族のロックとはビートが違うことに驚かされる。

楽しいコメディ

「FCヴィーナス」

今年はコメディに見るべき作品があった。
「FCヴィーナス」(ウーテ・ヴィーラント監督、50才)と「僕の友達」(ゼバスティアン・シッパー監督、39才)の2本である。
「FCヴィーナス」はサッカーものである。スポーツものの難しさは、ラストは大体分かっており、そこまでの過程を如何に上手く、無理なく描くかにかかっている。
 女性チームが男性チームを打ち負かすお約束が大前提となり、それまでの繋ぎ次第であり、その繋ぎを軽く、上手く裁いている。
 地方のサッカーチームのエースはヘッディングでバーに頭をぶつけ入院。急遽、チームを離れ、ベルリンにいる元エースが呼び戻される。彼には恋仲の彼女がおり、建築技師で活躍するデキ者。その彼女、大のサッカー嫌い。その訳は、大きな伏線となる。男は彼女を適当に言いくるめて2人で帰郷。男世界を堪能するサッカー仲間の素性を直ぐに知った彼女は、女房たちをたきつけ、女性チームを結成。サッカー、ビールと四六時中、家庭を顧みない男たちに対し、女房たちは家事スト、セックスストと色々試みるが効果なし。
 そこへ、強気の彼女の登場。今まで球に触れたことのない女房たちへの特訓、ホモの片割れの女性チーム参加、しかし、上手く行かない。そこへ、ドイツを代表する名監督が登場。彼の指導により、チーム力は一変。その名監督は彼女と生き別れの父親と、ここへ来て伏線が頭を持ち上げる。楽しませながらの進行。ドイツにおけるサッカー熱が伝わる。
 最後はメデタシ、メデタシ。快く笑える一作。
 本作、サッカーに造詣の深い配給会社が興味を示しているとの情報あり。早目の公開が期待される。

価値観の転換

「僕の友達」

「僕の友達」も楽しめる一作。ハナシの筋は、生真面目人間が人生享楽派の友人の感化による、新しい道への踏み込みである。
 2人の青年を通しての青春の哀歓が出ており、何より、脚本がしっかりし、ダレがない。
 生真面目なサラリーマンで《穏やかで知的な青年》にダニエル・ブリュール、《騒々しく軽はずみな男》にユルゲン・フォーゲルと、人気スターが扮している。特に、フォーゲルの「いいから、いいから」と好い加減を決め込む植木等的なキャラクターが光る。
 作中、車が重要なモチーフとなり、フォーゲル所有のオンボロ車は、70年代頃まで存在した、オランダ製小型車DAF。この伝説的な庶民サイズの小型車、カーマニアを惹きつけずにはいられない筈。良く出来たコメディだ。

自我の発露

「4分間のピアニスト」

今映画祭で、2作品、「4分間のピアニスト」(クリス・クラウス監督、44才)と「マドンナ」(マリア・シュペート監督、44才)で女性の暴力が取り上げられた。珍しいことではないが、それ程、目にするものでは決してない。
「4分間のピアニスト」(公開決定)は、女子刑務所に収監される若い女性はピアノの才能があり、彼女を何としてもコンクールに出場させようとする老ピアノ教師との物語。
 対する「マドンナ」は、恋愛するたびに子供を作るシングルマザーが主人公で、彼女の社会常識の欠落した生き方が新鮮に映る。この両作品、主人公が相手にパンチを喰らわすほどの暴力を振う。
 この暴力に、社会規範を逸脱しても自己主張を通さずにはいられない、強い自我の発露がある。

「マドンナ」

「マドンナ」はテンポが緩く、見ていてシンドイが、押し通す自我の強さには目を見張るものがある。1人が自我を通せば、そこには被害者が出る。善意の老ピアニストに悪態をつくことを止めない女、最後は子供5人を置き去りにし姿を消す「マドンナ」のシングルマザーと、残された子供たちの悲しみが心痛い。




ベルリン派

「イェラ」

今回はベルリン派とされる作品が紹介された。「ピンポン」(マティアス・ルートハルト監督、35才)、「イェラ」(クリスティアン・ペツォルト監督、47才)の2作品。選考サイドは、新しい潮流としてベルリン派を熱心に採り上げ、同派の中心とされるルートハルト監督は否定する一幕があった。
 ベルリン派とは、ベルリンを拠点とする若手監督たちの作品を指し、作風は、リズムが緩く、登場人物の描き込みを重視、ストーリーを優先する。批評家によれば、退屈な作品が多いとのこと。この流派、フランスのヌーヴェルヴァーグ同様、演出主義であり、テーマよりも芝居の細部にこだわり、マニアや大学の語学教員に信奉者が多い。
 過去において、日本ではヌーヴェルヴァーグ信奉者により、フランス映画が小難しくなった経緯がある。
 大学の先生方たちが、一つの流れに飛び付き、ラベル張りをしすぎると、ドイツ映画は退屈といわれかねない。そこが心配だ。



おわりに

今年は、これという中心的な作品はなかった。但し、タイプの異なる作品の上映が楽しめた。特に、コメディや従来の社会規範を引っくり返す「4分間のコンサート」や「マドンナ」のパワーは特筆される。
 愚直に社会に向き合う若手監督作品以外に、テーマ性より、その過程の描き込みに高い関心を払うベルリン派作品は、映画自身の感興に乏しい。しかし、ドイツ映画の幅広さ、多様性という視点に立てば、その存在価値は認められる。



(文中敬称略)
  《了》
「映像新聞 2007年7月9日号掲載」

中川洋吉・映画評論家