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「フェミス(2)」− 濃密なカリキュラム

 フェミスは、ルイ・ルミエール映画学校(以下、ルミエール)に比べ、歴史が浅い。ルミエールは、映画産業人育成を目的とした、戦前からある映画学校であり、撮影技術の強さに定評がある。フェミスは映画全般に亘る人材育成を目指し、監督コース以外6コースある。
直轄官庁は、フェミスが文化省、ルミエールが教育省である。そして、フェミスはCNC(国立映画センター)管轄で、予算はCNCから下りる。
映画界に多くの人材を輩出する両校であり、出身者の多くは映画界で職を得ている。技術者養成を主眼とするルミエールの場合、撮影部門中心の人材が活躍し、フェミスでは監督中心である。勿論、録音、編集などの人材も多い。

沿革

フェミスの編集室

 フェミスは、前身のイデック(1944〜1985)が発展的解消した映画学校である。
 その誕生は1986年まで逆上る。イデックは、監督のルイ・マルやコスタ・ガブラスを輩出した、映画エリート校である。
 フェミスの代表的監督は、フランソワ・オゾン(1967年生、「8人の女たち」、「スイミング・プール」など)であろう。歴史が浅く、これからの映画人を多く生むであろうフェミスの最大の功績は、一群の若手女性監督を世に送り出したことだ。「フェミス(1)」で紹介したソルベーグ・アンスパッシュ、パスカル・フェラン(「レディ・チャタレイ」)などであり、彼女たち、フェミスがなければ世に出ることはなかったと考えられる。イデックからフェミスへと変わり、女子学生が大幅に増えたためである。イデック時代、監督科は男子専門とされ、女子は脚本科という経緯があった。
 フェミスのトップたる会長は、監督のクロード・ミレール(1942年生、「小さな泥棒」、「ニコル」など)、ジェネラル・ディレクターはマルク・ニコラである。彼はCNC副会長から、このポストに転出した。創立時の会長は、脚本家のジャン=クロード・カリエール(ルイス・ブニュエル作品で有名)であった。
 議決機関たる理事会の役員構成はユニークだ。全体で16人で、4人が学校の代表、6人が文化省からの任命者、1人が科長、1人が常勤職員、2人が外部講師、そして、残り2人が学生代表となっている。学校を構成するそれぞれのポストの人たちが網羅され、一部上層部の独断は通らない仕組みとなっている。学生も決定に参加する構成、議決機関として大変開かれている。


予算、規模、修業年限

照明収納庫(フェミス)
  2007年度の年間予算は1000万ユーロ(16億円)である。ルミエールは、教育省からの予算が大幅減額となり、規模が縮小し、現時点ではフェミスが優位に立っているそうだ。
 この、16億円の年間予算、この額があれば国立映画学校が運営出来るということである。我が国で待望久しい国立映画学校の設立も、この程度の資金であれば十分可能な筈だ。
 学生数は、全体で約180人で、7科ある。監督、製作、脚本、撮影、録音、編集、美術で、他に修業年限の短い配給・興行、スクリプト科がある。
 修業年限は39ヶ月と、変則的だ。この39ヶ月を3課程に分けている。
【第1課程】10ヶ月
【第2課程】前半10ヶ月(2A)、後半12ヶ月(2B)
【第3課程】7ヶ月
 以上のように、第2課程の比重が一番重い。新学期は、日本と異なり9月。
 その他に、スクリプト科は、28ヶ月、配給・興行科は16ヶ月の修業年限となっている。

学生、講師

美術収納庫(フェミス)

各科の定員は6人であるが、無理して沢山採らないため定員以下となる場合が多い。
 7科以外のスクリプト科4人、配給・興行科は9人と、定員が異なる。
 教員は、フェミスは独特のシステムを採っている。いわゆる専任教授は置かず、総て外部講師が教鞭を取っている。ここが、フェミスの売り物で、講師陣は、総て現役の映画人で構成されている。それぞれの講師は、2時間から数週間、教科を担当し、その数は500人に上る。
 講師陣に対し、常勤職員は管理職、事務方、そして、カメラ・照明機器の整備、総計で50人である。そして、現場の整備担当者が、学生の映画製作をサポートしている。


カリキュラム

 フェミスのカリキュラムは、実学と理論、双方に重点を置くものであり、世界の多くの映画学校のモデルと目される。
 3課程修業内容は、以下の通り。
 第1課程は共通幹と呼ばれ、専門課程進級前の一般教養修得を目的としている。第2課程は各科の専門の学習、そして、第3課程は卒業製作に当てられる。
第1課程では、其々の学生が合同して授業を受ける。
 ここでは、理論講座として、フランス映画の製作システム、映画の経済的、社会的側面を学ぶ。実技では、ビデオによる3分の短篇、そして、第1課程後半で16ミリカラーで5分以内のフィクションを製作。この撮影チームは、それぞれの専門科の学生により構成される。
 次に、英語の授業がある。フランス人は一般的に英語に弱いとされ、その弱点を埋める目的がある。
 更に、いかにもフランスの映画学校らしい取り組みに、映画分析がある。映画を理論的に再構築する作業であり、この能力は入試でも問われ、学校自体が非常に重きを置く科目である。
 他に、映画鑑賞講座、コンセルバトワール演劇科学生との共同アトリエ、そして、哲学者による講演がある。初めの3ヶ月は、配給・興行科の学生も参加する。
 第2課程は、前半が10ヶ月、後半が12ヶ月である。
 この期から専門に分かれる。
 各科の専門とする理論講座、実技、アトリエ(演習)が授業のメインとなる。この内容は、ドキュメンタリーの製作、俳優指導、ワンシーン限定のシナリオ作成、35ミリによる実地製作などがある。
 以上の内容科目の掘り下げのため、併設講座が設けられている。

「映画分析」集中講座、「ドキュメンタリー・フィクション練成講座」、「英語講座」、「哲学講演会」などである。
2Aの実技では、前年製作の16ミリフィクションの分析が行われる。そして、ドキュメンタリー製作が12月に3週間かけて撮影、年明けに編集作業を行い、2月に完成させる。他に、16ミリで10分以内のフィクションも製作する。
 2Bの学年末には、各科の学生はそれぞれ専門の学外研修が義務付けられている。
 第3課程で、学生は卒業製作に取り組む。監督科は35ミリでフィクションかドキュメンタリーの短篇、脚本科は長篇脚本、美術科は美術のコンセプションのプレゼンテーション、そして、他の科の学生は、論文、又は、ビデオにより専門分野の成果を提出し、その後、卒業証書の授与となる。
中退し、直ぐに現場に飛び込む学生が多かった、旧イデック時代と異なり、フェミスでは中退者はほとんどいない。又、学校も、中退者はおろか、留年も認めない。
実技の映画製作(時にビデオ製作)の費用は総て学校持ちで、製作費の大半はフィルム代である。外部からの補助は、15〜20%を上限に受けられる。総ての作品ではないが、学生製作作品に対し、補助があること自体、日本では考えられない。

入試

 入試に関し、2007年統計によれば、一般試験(7科の)は1075人の応募があり、36人が合格している。倍率は約30倍の狭き門である。
実地製作費用は前述のように学校持ち、機材も学校の備品である。220uのスタジオが4つ、3つのデジタル・オーディトリアム、3ヶ所の上映施設(170人、63人、20人用)、4台の35ミリカメラ、11台の16及びスーパー16ミリカメラ、10台のビデオカメラ、29室の編集室と至れり尽くせりである。
このような教育環境を見れば、エリートを養成し、将来の国政にかかわる人材の供給源とする、フランス独特のグラン・ゼコール中心主義が、映画の世界にも及んでいることがわかる。ここに、国家の文化政策として、映画教育を実施するフランスの姿勢がはっきり読み取れる。 



(C)八玉企画
(文中敬称略)
2008年4月14日 映像新聞掲載
《了》

中川洋吉・映画評論家