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「フランス映画祭2009」

日本公開作品中心に粒ぞろい

 「フランス映画祭2009」が3月12日から15日まで4日間、TOHOシネマズ六本木ヒルズで開催された。お祭色が濃厚だった横浜時代から、東京・六本木に本拠を移し、今回、新会長アントワンヌ・ド・クレルモン=トネール体制下で始動した。

対日戦略

ユニフランス総代表ジル・ルヌアール
  フランス映画の日本マーケット攻略ポリシーについて、映画祭主催団体、ユニフランス・フィルム、ナンバー2のジル・ルヌアール総代表に、パリ本部で話を聴く機会を得た。
「ジャック・リヴェット監督、エリック・ロメール監督などのアート系作品のプロデューサーであるメネゴズ前会長は、観客動員数が減少傾向にあるフランス映画の日本マーケット拡大に心を砕いた。具体的には、映画祭のお祭りからビジネスへの転換、東宝系シネコンでのフランス作品上映である。しかし、その効果は未だはっきりしない。日本ではフランス映画観客が減少しているのは承知しているが、現状では暗中模索状態であり、対策を研究中だ」
 世界的に見れば、フランス映画に勢いはあるが、日本マーケットは弱い。そこを充分認識しており、そのために、団長にジュリエット・ビノシュを据え、巨匠コスタ・ガブラス監督を送り込んだのだ。
 
ビノシュ団長
 今回の映画祭団長ジュリエット・ビノシュは、彼女自身の舞台 "in・I"「イン・アイ」を映画祭と同時期に公演する。出品作品は全体で15本、そのうちフレンチ・ホラーが3作。配給が既に決定している作品は7本あり、先行試写の観もなきにしもあらず。
 ここ数年、メガヒットがないのは世界的現象でフランスもその例に洩れない。しかし、小品であるコメディがフランス映画興行新記録を樹立したのも事実。フランスの造り手、観る側の懐の深さが感じられる。その一端が今映画祭でもうかがえる。




「コード」 ディナーでの群像劇

「コード」
 「コード」とは、アパルトマン入り口のコードナンバーである。このコードを押し、中に入れば友人たちが集うディナーの場となる。このディナーの人間模様が非常に面白く描かれている。「モンテーニュ通りのカフェ」で日本でも知られる女流監督、脚本家のダニエル・トムソンの新作。2月にパリで封切られたばかりだ。
 パリでは6月に音楽の日という一大イヴェントがある。80年代、ミッテラン社会党政権の時の文化相ジャック・ラングの提唱で始められ、一日中、街中どこでも、あらゆるジャンルの音楽が演奏される。丁度この日にディナーが催される。呼ぶのは敏腕女流弁護士と彼女の失業中の夫、この彼が料理担当。そこに医師夫妻、弁護士夫妻、妹とその年上の恋人、スペイン人のフラメンコ教師、独身のインテリアデザイナーの面々が揃う。それぞれの登場人物、元カレ、元カノである生臭さも面白い。前菜はホタテ貝、メインはポーランド家庭料理、肉の煮込み、チーズ、デザート、そして上物のワインと首尾は上々。そこで群像劇が展開される。
 人を招いてのディナー、誠にフランス的なのだ。中流の上クラスの面々の暮らしや行動が透けて見えるところが「コード」の良さ。トムソン監督、一番フランス的とされるクロード・ソテ監督(「夕なぎ−セザールとロザリー」〔72〕、「愛を弾く女」〔92〕)の域に近づいてきたようだ。
 ラスト近くの、60過ぎの男2人が、往時を偲ぶ、リトル・リチャードの「ルシール」に合わせ踊り狂うが、そこには一抹の悲しさと、おかしみが共振する絶妙な空気が流れている。「コード」は人生の何たるかを考えさせる秀作。


「ヴェルサイユの子」 人間の生きる権利問う意欲作

「ヴェルサイユの子」

 「コード」の余りにフランス的世界の対極にあるのがピエール・ショレール監督の「ヴェルサイユの子」である。宮殿で有名なヴェルサイユは、周囲が大きな森に囲まれ、近年、ホームレスの溜り場となっている。雇用不安で揺れるフランスの現実を描く意欲的な作品。冒頭、幼児を連れ、大きなバッグを持った若い女性が凍てつくパリの夜を歩き廻る。女性は大通りに停まる車の陰で用を足す。明らかにホームレスだ。「何か暖かいものは如何」と福祉関係者が親子に声を掛け、収容所へと送り込む。送られ先がヴェルサイユで、その森で親子は掘立小屋に住む若い男(ギヨーム・ドゥパルデュ)と知り合う。女は仕事に就くために子供を黙って男に預け、何処かへ立ち去る。このヴェルサイユのホームレスの実態に胸が痛む。残された2人は、疎遠だった男の実家に戻るが、男は再び1人で旅立つ。社会の片隅に忘れられ、不況の波に揉まれる人々、人間の生きる権利を根幹から問い直すような視線が鋭い。今映画祭の収穫の1本。この作品撮影後、ギヨームは急死、生前ドゥパルデュ親子は折り合いが悪かったそうだが、父ジェラールは悲しみに暮れ、フランスを離れたいと漏らしている。


「顧客」

「顧客」

 フランス映画界のコメディでは今や第一人者である女優兼監督のジョジアーヌ・バラスコの「顧客」は、バラスコ流の爆笑コメディとは一味違い、笑わせながら生きる悲しさを伝えている。
 テレビ局の物販番組の人気キャスター(ナタリー・バイ)が主人公。彼女は独身で、同じく独り者の妹(バラスコ)と同じアパルトマンに隣り合わせで暮らしている。姉は、時々、エスコートクラブを利用し、男と関係している。妹はフランス語を話す珍妙なインディアン(本物のインディアンで在仏9年の俳優。バラスコ監督の夫)と恋仲になり、2人はアメリカへと旅立つ。女性の側からの性の欲望を通し、真の愛へと迫る作品の意図は深い。
 バラスコ自身、大変な才人で、喜劇の戯曲作家として超一流で、又、太めのアンチ・セックス・シンボルとして、俳優としての彼女のファンも多い。女性の性的欲望を肯定し愛と性を分けながらも、男性を本気で愛してしまうキャリアウーマンの弱さの描き方が秀れている。


「西のエデン」

「西のエデン」(c) KG Production

 来日のコスタ・ガブラス監督の「アーメン」が2002年のフランス映画祭で上映された。ナチスとヴァチカン上層部の癒着により、多くのナチス戦犯がヴァチカンの手引きで南米に逃れた歴史的事実に焦点を当てた骨太な作品である。
 この作品、その社会性、販売価格の高さのためか、到々日本では非公開であった。惜しいことだ。
 最新作「西のエデン」は不法入国の移民が主人公。ある青年が、新天地へ渡るため密航するが、途中で、密航船船長の裏切りにあい、やっとのことでイタリアに泳ぎ着くところから始まる。大陸横断、最終目的地はパリ、しかし、華のパリで現実の苦さを噛み締める。密航者の群れ、移民と不況が写し出され、現代の問題を的確に衝いている。この作品、是非とも日本での公開が望まれる。


「夏時間の庭」

「夏時間の庭」

 日本のヌーヴェル・ヴァーグオタクのアイドル、オリヴィエ・アサイアス監督の「夏時間の庭」は特殊なオタク眼鏡を外し、ブランド名を無視して見ることをお薦めしたい。
 物語はある一家の遺産相続を巡るもので、現実と懐古の間を揺れ動く人間模様が描かれる。地方の裕福な一家に、老母を中心に久々子供たちが世界各地から集る。長男は地元フランス、次男は中国、ジュリエット・ビノシュ扮する長女はアメリカに住み、それぞれ、仕事に明け暮れる毎日。
 老母は子供3人に、土地・財産は総て売却するよう命じるが、子供たちは先のこととして聞く耳を持たない。しかし、老母が亡くなり、相続問題が現実のものとなる。長男は昔のままを望み、外国住まいの2人は売却を希望する。しかし、3人の間、深刻な話にはならず、売却が決定する。懐古の情と、現実の生活の間で揺れ、観る側も他人事とは思えなくなる。マニアックな解釈が入り込む余地のない、オーソドックスな手法で「夏時間の庭」は展開される。アサイアス監督の成熟度を楽しむ作品だ。


異色のドキュメンタリー

 極めて今日的問題を採り上げたドキュメンタリーが「未来の食卓」(今夏日本公開)だ。一地方の村の小学校が食品の農薬問題と正面から向き合う。そして、校長は給食をオーガニックにする試みを始める。身近な食についての提案であり、看過出来ない状況が迫っていることに気づかされる。田園地帯での試み、優しさをもって観る者を包み込む、見ドコロある作品。

終わりに

 マスコミをにぎわす話題作や、大型作品はないが、今年のフランス映画祭は粒揃いだ。
 日本公開作品7本の選定はプロモーションの意味合いがあり、「ヴェルサイユの子」、「夏時間の庭」は中々の出来である。
 配給未決定の「コード」、「顧客」、「西のエデン」と見甲斐のある作品にも恵まれた。珍らしく選定されたドキュメンタリーも良く出来ている。3本のフレンチ・ホラー、これは売れ筋とのこと、多くの観客動員を期待したい。



(文中敬称略)
  《了》
2009年3月23日号 映像新聞掲載

中川洋吉・映画評論家