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「カンヌ映画祭2009」レポート

「カンヌ映画祭2009」レポート(1)
"原点回帰"のコンペ参加作品


 第62回カンヌ映画祭は5月13日から24日まで開催された。
今年は過去に受賞歴のある大物監督、ケン・ローチ、ラース・フォン・トリアー、クエンティン・タランティーノ、ジェーン・カンピオンなどのパルムドール(第一席)組に加え、ミヒャエル・ハネケ、ペドロ・アルモドバル、そして待望久しい、フランス映画の巨匠アラン・レネ、香港のスター監督ジョニー・トー、米国で活躍する台湾出身のアン・リーとこの上もない豪華顔触れであった。これらの大物以外の作品に見るべきものがあったのが、今回の特徴といえる。


今年のカンヌは一日だけ雨天に見舞われたが、残りは毎日夏日と、大変な好天気であった。
昨年来の世界的不況が、どれほど映画祭に影を落としているかが関心の焦点であった。確かに参加者は減っており、プレス試写も以前ほどの混みようではなかった。また、プレスルームも昨年のような場所の奪い合いはなく、仕事はし易かった。夜の上映後のレストランも例年よりも空いていた。
アジアのプレスでは、日本、中国は減少し、町を集団で闊歩するアジア人の一群は、以前なら日本人であった。しかし、固まって動くアジア人は、大概中国人か韓国人へと変わり始めている。コンペ出品作のない日本勢は後退し、アジアの国々の構成が変化している。
タクシーの運転手によれば、映画祭期間中、収入は以前の20%減で、その原因は企業や団体が派遣員数を減らし、10人のところ5人にしたためとのこと。これは不景気の影響かはっきりしないが、カンヌ映画祭を象徴する赤じゅうたんの脇を固める、制服姿が凛々しい共和国衛兵隊の姿が見られなかった。
しかし、物価の高騰は相変わらずで、筆者の逗留する二つ星の宿は一泊250ユーロ(35000円)と、映画祭期間中のスぺシャル・プライス、普段は80ユーロ(約1万円強)であり、強気の料金設定だ。このため、アメリカ、メジャー、ワーナー・ブラザースは例年の100室のホテルリザーヴを零とした話もある。カンヌ市のホテルは、期間中で年間売り上げの15%を稼ぐとされているが、いずれ、料金を下げざるを得ない時期が来ることを期待している。


原点への回帰

 今年度のコンペ出品作品について一言でいえば、映画の原点回帰だ。それには二面あり、一つは時代の証人としての側面、もう一つは映画的感興(面白さ)の再獲得の側面である。
具体例を挙げるなら、時代の証人的側面はパルムドールを獲得したオーストリーの監督、ミヒャエル・ハネケの「白いリボン」に求められる。
映画的感興の再獲得を意図したのは、フランスの監督ジャック・オディアールの「預言者」であろう。また、シリアスな社会派作品の作り手として知られるケン・ローチ監督の「ルッキング・フォー・エリック」も映画的感興の再獲得を狙ったものと言える。


パルムドールに「白いリボン」

受賞記者会見のハネケ監督(c)八玉企画
 今年の受賞を眺めると、100点満点に近い作品がパルムドールとグランプリ(第二席)を得、そのほかの受賞は、大胆に言えば60点以下の作品と、両極に分かれた。
パルムドールのミヒャエル・ハネケ監督はカンヌ映画祭の常連で、既に2001年に「ピアニスト」でグランプリ、2005年には「隠された記憶」で監督賞を受賞している。今年67歳の彼の作風は内面的、且つ哲学的である。低予算のアート系作品の製作を続け、娯楽性に富み、大向こうを唸らせるタイプの作家ではない。


「白いリボン」
「白いリボン」の時代設定は1913年、第一次世界大戦開戦直前で、舞台は北ドイツ、住民はプロテスタント信者である。
冒頭、教会のミサから始まり、その後の展開を暗示する。村の五つの家族の行動を通し、
「白いリボン」のメインテーマである宗教的支配と、被支配を描いている。「白いリボン」とはプロテスタント信者の忠誠の証しを象徴し、宗教の呪縛の恐ろしさ、それを利用する村の支配層、彼らの被害者である子供たちとの対比でストーリーが進行する。2時間24分の長尺、しかもモノクロ作品で、内容的には非常に難解であり、ついて行くのに辛抱が必要だ。しかし、その言わんとするところに驚くべき深さがある。
ハネケ監督は、ナチ抬頭前のドイツに舞台を求め、その後のナチの政権獲得、そして現代のテロ問題を見通し、常に強権の最大の被害者は子供であるとの視点に立っている。
現在は珍しいモノクロで、四季を追い、乾いたトーンが冴えている。「白いリボン」は映画史に名を留める作品であろう。

「預言者」

「預言者」

 同作は、事前の予想では圧倒的な支持で、断トツのパルムドール候補であった。受賞発表後の記者会見では、落胆したジャーナリストに対し、ジャック・オディアール監督は「第二席のグランプリだってそんなに悪くはないでしょう」と逆に慰めた一幕があった。
作品には映画的感興が満載されている。日本映画の父、牧野省三は映画作りの要締を、一 スジ、二 ヌケ、三 動作としたが、「預言者」は正にこの名言を地で行くもの。
監督のジャック・オディアールは57歳、往時の大シナリオ作家ミッシェル・オディアール(1920〜1985)の息子で、映画界入りは編集からであった。その後、監督兼業となり数々の賞を得ている。フランス映画の得意分野、フィルム・ノワールの継承者であり、シナリオの展開にたけ、ハナシが非常に面白い。
「預言者」の舞台は現代のフランスの刑務所。ある未成年の若者が6年の刑で収監される。読み書きが出来ないアラブ移民の子弟という設定が大きな伏線。無教育の彼だが、頭は良く、所内の覇権争いを制するところがハナシの勘処(カンドコロ)。
所内を仕切るのがコルシカマフィアの一団で、彼はその中に掬い取られる。その親分に目を掛けられ徐々に信用を獲得し、最後は親分を蹴落とし、自らが一団の長となる。その過程の抗争、思わず身を乗り出すほど面白い。例えていうなら、「仁義なき闘い」のノリである。もう一点、特殊空間たる刑務所の覇権争い、人生の縮図と重なり合うところに現実感がある。2時間35分の長尺であるが、全く飽きさせない。シナリオの腕だろう。
この「白いリボン」、「預言者」は100点近い出来であり、当然の授賞と受けとめられている。

不評だった大物監督の近作

「イングロリアス・バスターズ」

 人気のクエンティン・タランティーノ監督の「イングロリアス・バスターズ」(以下「イングロリアス」)、ラース・フォン・トリアー監督の「アンチキリスト」の2本は、話題性は豊かだが内容的には60点以下の作品だ。
「イングロリアス」は第二次世界大戦で、ナチス撲滅を目的とするブラッド・ピット隊長率いる特殊殺人部隊の物語である。タランティーノの作風はスピード感と奇想天外な発想にあるが、今回は、物語展開が冗漫で、内容にもブッ飛んだところがない。ハッタリとケレンの彼、今回はネタ切れ症状だ。これは悪作。

「アンチキリスト」

トリアー作品は、子供を失した傷心の夫婦(シャルロット・ゲンズブールとウィレム・デフォー)が心に負った悲しみを癒すために山小屋へ引きこもり、再生をはかるが、最終的に悲劇的展開を遂げる内容。ごく普通の物語であり、トリアー監督は、どんどん落ち込み精神のバランスを崩し、自損行為に陥る妻と、成す術もなく、ただただ見守るだけの夫の絶望的関係を描いている。その描き方が尋常でない。夫の行動を束縛するために、妻は夫のふくらはぎに石臼を打ち込み、その上妻は自分の性器をはさみで切るトリアー独特の挑発的シーンが写し出される。あまりの過激さに、興行的不成功を恐れるプロデューサーは、もっと大人しいキリスト教国向けヴァージョンの編集を検討し始めたとの報道がある。こちらは完全な悪作で、プレス上映の際のブーイングは激しかった。
しかし、今回の授賞、イザベル・ユペール審査委員長を始めとする委員会は、ユペール自身が主演女優賞を得た「ピアニスト」(01)の監督、ミヒャエル・ハネケにパルムドールを与えた。これは納得。
問題は主演男優賞に「イングロリアス」のクリストフ・ワルツ、同女優賞に「アンチキリスト」のシャルロット・ゲンズブールを選んだことだ。男優賞のワルツの演技は表彰ものには違いないが、この主演賞はタランティーノ、トリアー両監督に対するプリ・ドゥ・ラ・コンソラシオン(残念賞)の匂いがする。



(文中敬称略)
《続く》
映像新聞 2009年6月9日掲載

中川洋吉・映画評論家


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