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社会性の高い作品が増加

「FIPA2006」の特徴について、ピエール=アンリ・ドゥロ総代表は、作品全体が社会性を帯びてきていることを挙げている。現実と向き合うドキュメンタリー(ルポルタージュを含む)は、必然的に社会的視野に立たざるを得ず、移民、格差、テロ、自然破壊問題へと目を向ける。ドゥロ総代表自身は、政治的タイプではなく、カンヌ映画祭監督週間総代表時代から、新しい才能の発掘に意を注いできた人物であり、フランス映画界でも、彼の堅実な姿勢に対して一目置く人が多い。社会性の高い作品の増加は時代の要請であり、その反動で、音楽・ダンス部門の出品が減少している。硬派の作品が多いということは、社会問題を追及する日本のドキュメンタリーの指向と重なり合う。その結果として、日本からのコンペ選考作品3本が選ばれたと考えられる。

◆FIPAの組織について

カンヌ映画祭と比べ、FIPAの規模は極端に小さい。カンヌ映画祭の総予算は、2000万ユーロ(約28億円)と言われているが、FIPAはわずか130万ユーロ(約1億8200万円)と、東京国際映画祭の5分の1にも満たない額で運営されている。このうち、40万ユーロ(約5600万円)がフランス国立映画センター(CNC)からの助成で、あとは主に著作権団体からの補助に頼っている。本部常勤職員は事務局長を含む4人。総代表、ドゥロのFIPAとの契約は年間8カ月である。残り4カ月は、ほかの映画祭ディレクターを引き受けている。

FIPAの一番の支出は、ビアリッツ市への招待である。審査員や作品ディレクターら200人を招くことから、会期中確保するホテルの部屋数は600室で、延べ3500−4000泊となる。
ビアリッツ市は古い保養地であり、オテル・ドゥ・パレをはじめとする4つ星のホテルが揃い、4000泊は可能である。
 
◆今年の注目作品

今年は、日本から本選に3作品、FIPATELに4作品が選ばれた。これについては次稿で、アジア作品を含めて述べる。
FIPA参加においての一番の悩みは、とにかく作品数が多く、3分の1も見られないことである。未見作品の中から賞が出たりすれば、最終日の受賞作品特別上映で拾って見なければならない。この悩みを解消する一手段として、FIPATELの活用がある。しかし、これもすべての人が入れるわけではない。
以上の事情から、受賞作品で直接見て、注目した作品を中心に述べる。

FIPAの6部門には、それぞれ審査委員会があり、合議制で、金賞、銀賞が決まる。主催者側も、客寄せパンダ的意味から、著名人を審査員に加えることもある。昨年は、ドラキュラ役者のクリストファー・リー、今年はポーランドのクシシュトフ・ザヌッシ監督(『太陽の年』〔84年〕)が目立った存在であった。日本は、毎年FIPAからのリクエストがありながら言葉の問題が大きく、今年も審査員の参加は無かった。

一番強いインパクトを受けたのは、ルポルタージュ部門に出品されたスウェーデン・テレビ制作、ハネス・ラスタム ディレクターによる49分の中編作品『デッチ上げ』であった。

ある中年男が04年12月に刑務所から釈放された。彼の服役理由が、時をさかのぼって展開される。3年2カ月前に、彼は自身の娘に対する覚醒剤違反・強姦・強制売春で有罪となり、その後の控訴審により無罪となった。妻と離婚した男は、10代前半の娘の養育ができず、施設に彼女を預け、休みのたびに遠路数百キロメートルの道のりを車で面会に行く日常であった。彼は、無罪を訴え控訴するが、判決は覆らず、弁護士の努力で2度目の控訴を決意する。

作品は、彼の証言、裁判記録、担当検事への直接インタヴューで、裁判を始めから検証する。このたたみかけるスピード感は、説明過多な日本のドキュメンタリーでは見られない冴(さ)えがある。
検証を進めるうちに、驚くべき事実が出てくる。離婚した妻が裏で糸を引いていたことが分かり、この強姦・強制売春のデッチ上げが次第に明らかになる。その間、担当検事が堂々と顔を出して、執拗(しつよう)に自己の正当性を主張するシーンが挟み込まれる。10代の娘の話を信じ込み、男に有罪をもたらせた事実関係が次々と論拠を失う。
ずさんな司法の判断に対する告発である。また、スピード感溢れる描き方は、ニュース映画的な臨場感がある。ルポルタージュ部門の文句なしの金賞だ。

ディレクターは、テレビの報道記者出身とのこと。事実の検証は、ジャーナリストの手法である。この作品は日本のドキュメンタリーとは異なった画面作りをしており、わが国の制作者たちに驚きを与えるに違いない。ただ、日本でこの作品を放映する場は、残念ながら見つからない。

◆アフガンの現状を撃つ

ほかに、ドキュメンタリー部門でも興味深い作品があった。ドキュメンタリー部門とルポルタージュ部門の違いについて、少し説明しておく。
 毎回、この両部門の違いが判然とせず、ドゥロ総代表に尋ねるが、今一つ、はっきりしない。一応、より社会性の強いものがドキュメンタリー、時事性が強いものはルポルタージュと解釈している。

注目すべき作品は、アフガン農村女性を追った『ザルタレの女の旅路』である。ディレクターは、フランスの長篇劇映画監督であるクロード・ムリエラスである。彼の『夢だと言って』(98年)、『家族の再会』(00年)は、横浜フランス映画祭で上映され、好評を得た。家族の絆を描いた『夢だと言って』は、カンヌ映画祭でも高く評価された。FIPAでは、ドキュメンタリー部門の銀賞を受賞した。
彼は、長篇劇映画製作の合間に、ドキュメンタリーも手懸けている。中堅監督として、既に評価の定まった彼の今作『ザルタレ…』は、フィクションを思わす語り口の巧みさがある。

アフガン農村(多分、この奥地がザルタレと思われる)の住民であるサラは、地域のほかの女性同様、結核を患っている。事実、集落の約半数の女性が結核を病む、劣悪な生活状態である。村での祈祷では病が治らず、サラは、生まれて初めて故郷の村を離れ、町の病院に入院する。
現在のアフガンの一般的な状況が、1人の結核患者の存在を通して語られる。ここでは、多くの女性患者がおり、彼女は生まれて初めて、ほかの村の女性たちと言葉を交わす。そして、人生の意義、生活のあり方などについて多く学ぶ。作者が描きたかったのは、患者同士の会話により、彼女たちの意識が少しずつ変わって行くところにある。

性急に結論を求める訳でなく、諄々(じゅんじゅん)と、人生について認識を増す過程が、フィクション・タッチのように語られる。非常にうまいディレクターである。
荒廃したアフガンの現状を、タリバンや耕作を不能にする米国のウラン弾を描くことなく見せる。地味だが思いの深い作品である。

同部門に『にがい涙の大地から』を出品し、ビアリッツ入りしたディレクターの海南友子は感心しきりで、「私よりずっとうまい」と口にするほどであった。ムリエラスがドキュメンタリーを撮れば、ほかの人は、彼を追い越すことは難しい感じだ。

◆政治の季節の回顧

個人的に、ドキュメンタリー(ルポルタージュも含めて)の面白さを見せくれたと感じたのが、ルポルタージュ部門に出品されたINA(国立視聴覚研究所)制作、55分の作品『マオの時代』(仏)である。マオとは、中国の指導者・毛沢東のことで、フランスでは彼を信奉する知識人のグループをマオイストと呼ぶ。

ディレクターのベルナール・ドゥボールは、60年から70年にかけたわずか10年間の社会現象を、INAの豊富な映像資料と、当時マオイストの闘士たちのインタビューで「マオの時代」を構成した。
現リベラシオン(社会党系日刊紙)の創設者で、第一線で活躍中のセルジュ・ジュリ、現在は教員のアラン・ジュズマールなどが、フランスにおけるマオの時代を語っている。
「マオイストとはPCF(フランス共産党)よりも左に位置したい若者たちのグループ」と定義している。これは、当時の時代的気分を表しており興味深い。

フランスにおける戦後最大の事件は、インドシナ戦争(46−54年)、アルジェリア戦争(54−62年)ではなく、68年5月革命を指し、歴史的資料としても価値あるドキュメンタリーである。

(敬称略)

中川洋吉・映画評論家